情報のコーディングは外界の刺激が後頭葉にあるV1野に入りその中のオブジェクトに対しての細胞が活動します。活動した細胞はネットワークを通じで一つのモデルに作り上げられるそうです。この一連の脳内活動が現代の脳科学の基本になっているそうです。
では、それらの情報表現を観測し把握している自分とはいったい何なのでしょう?
つまり、現代の脳科学では感情や思考、意識とは脳細胞の情報コーディングによってつくり出された存在だと主張しています。
しかし、その物理的に解釈されたプロセスを把握して、認識している存在が私という存在だと思います。クオリアとは昔から哲学の題材として扱われてきました。 しかし、現在では脳科学者が扱うテーマとなっています。 つまり、今までの脳科学者たちはこのクオリア、つまり観測している科学者の心自体を省いて研究されてきました。この事を本の中では「小さな神の視点」と表現しいます。 しかし、これでは観測や自身の観測がされていないことになります。これをふまえたのが「神の視点」ということになります。
量子にヒントがあるのではないか?(2015年1月追加)
この記事を読み直し、最近思った内容とかぶります。やはり現時点の脳科学の考え方では限界がある様に思います。一つの解決として量子科学の視点から脳科学を考える方がスムーズな気がします。
すべては量子で動いている—物理的実存論と量子的実存論につて - Noriyasu_Katano's blog
この話は前回の記事で出てくる「アウェアネス」という状況はまさに量子にとっての不安定な状況とよく似ています。そして、「神の視点」というのがまさに微小管なのではないでしょうか。