人がある物を認識する時には2種類のクオリアが生まれるそうです。
感覚的に認知されるクオリアと、自らが生み出す志向的クオリアです。 感覚的クオリアは単純です。外界から入ってくる情報を感覚器官が受け取ったものです。 そして志向的クオリアは意図的に作り出された感覚です。
志向性とは心で生まれた外界に向けられる物で、本の中では「言葉の意味」を使って志向性を説明しています。「ぽかぽか陽気」という言葉を読むと各個人がそれぞれのイメージを展開します。この行為こそが「志向」と言われています。この性質を持ったクオリアが志向的クオリアです。
たとえば、今、パソコンを前にしています。視覚からパソコンのクオリアを受とられ、目を閉じてもこのパソコンのイメージは残ります。感覚入力がなくてもそのものを想起できます。触感的にキーボードやマウス、また視覚的にモニターを見ていなくてもコンピュターをイメージできます。
このことが志向性クオリアと呼ぶようです。 そして、この感覚的クオリアと志向的クオリアとの間に生まれるマッチングプロセスが一般的に認識だそうです。認識を通すことで感覚的クオリアを志向的クオリアに移す作業が行われ、パソコンのイメージを視覚器官から感覚的クオリアが受け取り、志向的クオリアと同じ位置でマッチングさせます。
一旦志向的クオリアに認識されてしまえば、目を閉じてもイメージを想起できることになります。 感覚的クオリアは対象が同じであれば変化する事は何もない。しかし、志向的クオリアは常に同じとは限らないそうです。