Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

鳥山明先生が亡くなった事で想うこと

雲

こんな事を書くと不謹慎だと思われるかもしれないが、今回鳥山明先生がお亡くなりになり、ふと思ったので書き留めたい。 鳥山明先生の作品の思い出は、確か小学校1年生の遠足の前日、親から500円をもらい近所の商店、今で言うコンビニの様なお店にお菓子を買いに行った時に、ちょうとたまたま『Dr. スランプアラレ』の最新巻が売っていて、お菓子を100円分だけ購入して、残りをそれに使った事を覚えています。当然親からひどく怒られた事を覚えています。どうしても欲しくなってしまい買ってしまいました。

その後、ドラゴンボールがアニメで始まり、夜7時に放送されていたと思います。その放送が野球中継で中断された時は非常に悲しかったです。

だんだんとドラゴンボールも悟空が天国に言って、ナメック星が大変な時に毎回毎回悟空は天国の道を走っていて、いつになったら界王神に会えるのかとイライラしていた事を覚えています。この頃からフジテレビや集英社は視聴率のためになんでもやるんだなと思い始めていました。

そのくらい鳥山明先生の作品とは縁が深いです。 しかし実際に会った事もありません。さらに、鳥山明先生はあまりテレビにも出ないのでどんな顔をしているかもわかりません。

有名人の死の真実性

顔も知らず、ましてや、棺桶に入ったご自身にはもちろん会うことはないでしょう。ただ、XのアカウントにYahoo!ニュースが流れて来るだけです。著名人の死を知るきっかけはこの様なもの。 少し前までは、葬式に取材が入り、他の著名人の方が喪服を着てお悔やみをする様子なども放送されました。しかし、今は家族葬や知人だけで葬儀が行われあまりそのような様子が放送されなくなりました。

本当に、その著名人は死んだのでしょうか?

今回の死の知らせを受けた時も悲しみが少し湧きましたが、なんとも実感が湧かないのが正直な感想です。

作品は続く

手塚治虫先生が亡くなられた後、新しい作品は生まれてこないのは当然です。しかし、鳥山明先生の場合、ドラゴンボールは生前からすでに他の方がドラゴンボールを描き続けています。漫画自体の権利は集英社、その他のグッズの権利は、担当していた編集者が立ち上げたカプセルコーポレーションが所有しています。前向きに捉えれば、ファンのためという事だと思いますが、結局コンテンツ自体が金になり、その金で潤っている人たちがいるからだと思います。それはそれで良いですが、なんとも打算的というか、、、。

bunshun.jp

ドラゴンボールは、そんな大人の事情が見え隠れする時点から見なくなり、好かなくなりました。コンテンツ内では純粋に強い者を倒し、間違った考えを正す様なストーリーでありながら、結局金に群がりファンにグッズを買わせる商売になってしまっているような気がします。これはドラゴンボールだけでなく全てのコンテンツに言えるのかもしれないです。

「潔さ」という言葉がなくなり、ただただ、打算的に続く、そんな感じがします。その打算に付き合っているファンも本当にコンテンツを愛しているファンと言えるのでしょうか?ただただパブロフの犬の様にベルが鳴ったから購入するという一連の仕草をこなしているだけの様な気がしてなりません。

報告のタイミング

話を今回の報道に戻すと、死の報告が出たタイミングも疑ってしまいます。 私が陰謀論的な観点があるのは否めないですが、最近のメディアの報じ方などを見ていると、今回の世界から愛された作者の死すらも疑っってしまいます。

私が今回の報告に最初に触れたのは、お昼休みが終わる13時ごろ、XにYahooニュースが流れてきました。その1時間後に自民党青年局による怪しげなパティーのニュースが流れてきました。

当然メディアは鳥山明先生の死を中心に報道すると思います。正確には先生は3/1に亡くなっています。カプセルコーポレーションにが広報もいると思います。担当者は、リリースするタイミングを考えると思います。多分、集英社にも足並みをそろえるようになると思います。さらに、亡くなられた方が有名であれなあるほど、その範囲は広くなると思います。もしかしたら政府にも伝わるかもしれません。

今度は、青年局の報道に関しても出版社などは、当然ニュースを出す前に関係者に確認をとりいつ出す事を話します。ここで相談して、報道のタイミングを大きなニュースにぶつける事はそれほど難しい話じゃないと思います。

あまり、こういう事を話すと友達がいなくなるので、リアルではあまり話しませんが、この前の野球選手の結婚しかり、報道のタイミングが政権に都合が良いように調整されているのではと思ってしまいます。

本当に死んだのか?

冒頭に戻りますが、さらに妄想を膨らませると、表面的な報道でしか知らされない者として、人が死んだことの真実はどうやって確かめることができますか?言い方を変えると、ここまで複雑になった社会では、どこまでの情報があれば人が死んだ証になるのでしょう?

最後になってしまいますが、鳥山明先生、漫画の楽しさやイラストのカッコよさ、色々と学ばせていただきました。 ご冥福をお祈りいたします。