Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

自由意志は幻想

Daily

この記事の冒頭部分は1年前くらいに下書きとして残しておいたものになります。 この内容からだいぶ意識についてそれが幻想であることが確実になってきたように思います。

最近だんだん理解できるようになったのが意識が幻想だということ。<私>を構成しているものは何も無いというのが何となく理解できるようになってきた。 このブログでも何度か意識の事について色々と書いてきました。私自身がうつ病(?)であり、昔から精神関係や脳科学に興味がありそういう書物を読んできました。なぜそれを読んでいたかというと「自分自身とは何だ」という事を求めていたのかもしれないです。

そして、先日とても興味深い動画を見ることができました。


www.youtube.com

余談ですが、今の時代は非常に恵まれている時代だと言えます。慶応大学に通っていなくても慶應大学の講義を見ることができのは非常に素晴らしい。 この動画は前野隆司の講義になります。内容自体は著書である『脳はなぜ「心」を作ったのか』を講義しています。1時間くらいあって長いですが、これを聞いていると意識というのがよくわかります。

前野氏の内容は非常に興味深く、結局意識が体全体を統制しているように思っているが結果的には他の臓器と同じもしくはもっと劣っている臓器から生み出されたものにしかすぎない様に思います。

エピソード記憶意味記憶

人間はエピソードとして記憶することができることをエピソード記憶と言います。例えば「Aさんと昨日のドラマについて話をした」というようなエピドードとして記憶できますが、昆虫などはこのエピソード記憶ができずより原始的な意味を記憶する「意味記憶」しかできない。意味記憶は知識としての記憶になります。 このエピソード記憶は全ての脳の活動の中から、大事な物を選んで記憶しています。前野氏の考えとしては、この脳が並列分散的に活動している中からその人にとって重要な記憶をピックアップして残す行為が意識だと言っています。 これは一見能動的に選択しているかのように思いますが、エピソード記憶に残すためには体験を行う必要がありそれを記憶しているのは無意識で決めている。 蜂に刺されたというエピソードがあり、あの場所には蜂がいるという事を記憶する必要がある。この体験を残すのは意識が能動的に記憶を命じているのではなく、無意識がこのエピソードを記憶しているだけであり、意識はそれを後付けの様にあたかも自分が記憶している幻想ではないかという仮説であります。 これを「受動意識仮説」と呼んでいます。

自由意志はなんなのか

つまり人間の活動のほとんどは全て無意識で始まり、意識はそれを追随して思っているだけである。あたかも自分で選んだり、能動的に考えている様に思うかもしれないがそれは全て幻想にすぎないということである。

未来を見ている実験

人工盲点の実験から視覚は未来の状態を見ていることになります。しかし、この事にはカラクリがあり、実際に目にうつっている状態から意識が反応するまでに0点何秒の差があるという事です。しかし、意識はそれをあたかも今見ていると錯覚します。 つまり、意識が認識する前に無意識では既に処理が走っていることがわかるわけです。

http://www.kanazawa-it.ac.jp/rg/rg2002/2002_pdf_300/P05-06.pdf:人工盲点の実験資料

世界はありのままに見ることができない

この話が数年経って自分の中でつながりました。最近読んだ本でドナルド・ホフマンの『世界はありのままに見ることができない』というのがあります。 まさに、この前野氏の話はこのドナルド・ホフマンの話を裏付ける物だと思います。 この本では世界はヴァーチャルリアリティでできているというマトリックス理論と近い事を言っています。 まさに我々が作ってきた物理化学の世界は結局自分達の都合のいいように解釈しているだけなのではと思います。

この話をそのうちまとめたいと思います。