
久々の更新です。
このブログは2013年から、不定期に——本当に不定期に、年単位で間が空くこともありながら——脳科学や量子力学、哲学や政治について、その時々に考えたことを書きためてきました。気づけば13年目です。
今回、ふたつ変えることにしました。
ひとつは、ブログの名前。これまで自分の本名をそのまま看板にしていましたが、少し引いた場所から書きたくなり、「norizou log(ノリゾウの考えごと)」に改めました。中身の方向は変わりません。相変わらず、本を読んでは「人間とは」「意識とは」「日本人とは」とダラダラ考える、いつもの雑記です。
もうひとつは、これからの記事はAIと一緒に書くということ。考えることや問いそのものは今まで通り自分のものですが、それを整理したり、文章にしたりする部分をAIと共同で進めていきます。脳や意識について延々と考えてきたブログが、いままさにAIと一緒に文章を綴っている——この状況自体がこのブログのテーマそのものみたいで、我ながら少し面白く思っています。
——と、ここまでがAIの書いた出だしです。
どうでしょう、もう誰が書いたのか分からないですよね。実はこの「分からなさ」こそ、今日いちばん書いておきたかったことなんです。
イーロン・マスクは、あと5年もすれば人は働かなくてよくなる、AIとロボティクスで人間のやることがなくなる、といった趣旨のことを話していました。いろいろな意見を読み聞きするほど、確かに人のやっていることは無駄が多いと思わされます。
会社にいるとよく分かります。一日の大半は、人と人の調整で終わる。「誰々が承認を取った、取れていない」「誰々はOK、誰々はこの部分がNG」——こうしてプロジェクトはずるずる遅れていく。これが現実ですよね。
その点、AIはスムーズです。提案して、修正を投げて、背景を全部渡せば、最適な答えが返ってくる。しかも今のAIエージェントは、自分が作ったものを自分で検証して、また自分で直す。人間が入る余地がない。
こうなると、工場のような業務もAIとロボットで完結してしまう。生活に必要なものの大半が、人の手を介さず作られ、出荷され、店頭に並ぶ。
「AIに新しいものは作れない」という反論はあると思います。でも——逆に聞きたいんです。新しいものって、そんなに必要ですか?
いま「新商品」と呼ばれているものが、どこまで新しいでしょう。パッケージを変えて、少し味を変えただけ。とても新商品とは呼べないものが、新商品として並んでいます。分かりやすいのがOEMです。開発部署を持たないメーカーのような会社に勤めるとよく見えるのですが、その会社“独自”を名乗るドリンクやアパレルの中身が、実は他メーカーの製品と完全に同じだったりする。大半の人も、薄々知っていると思います。
そして、このやり方は今に始まったことではありません。1960年代にはもう当たり前でした。面白いのは、その時代にいちばん有名になった広告が、この「中身は変えず、パッケージだけ変える」手法を逆手に取ったものだったこと。広告代理店DDB(ドイル・デイン・バーンバック)が1959年からフォルクスワーゲン・ビートル(タイプ1)のために打った「Think Small」の一連の広告です。毎年モデルチェンジで“新しさ”を演出するのが常識だった時代に、「見た目は変えない、変えるのは中身だけ」と正直に言い切って、逆に伝説になった。裏を返せば、パッケージをいじる手口なんてとっくに知れ渡っていて、結局は広告でどう見せるか——ごまかすか——の勝負になっている。それが半世紀以上、形を変えて続いているわけです。
だとしたら、この「新商品ごっこ」こそAIの得意分野です。定期的に味を変え、パッケージを変える。造作もない。どのメーカーのものも大差ないし、そもそも本当に必要かと言えば、たいていは必要ない。広告がなければ目にも入らないものを、店頭でなんとなく手に取って、うまそうだから買う。その繰り返しです。マーケティングは、もう限界に来ている気がします。
TikTokやInstagram、YouTubeで流れてくる動画も、半分以上はAIが生成して量産していくようになるでしょう。クリエイティブは人間がやるもの——その時代も、終わりかけているのかもしれません。
……と、ここまで威勢よく「人間の出番は終わる」と書いておいて、なんですが。
この記事自体が、AIと一緒に書いたものです。「クリエイティブは終わった」と言いながら、私はいまAIと創作している。矛盾しています。でも、たぶんその矛盾が、いちばん正直なところなんだと思います。
この記事の6割はAIによる編集です。でも残りの4割が、私の希望という——たぶん、悪あがきなんだと思います。norizou log は、その4割を書きためていく場所にします。
またダラダラ書いていきますので、よければお付き合いください。
