映画『アメリカン・サイコ』とエプスタイン
久々にブログを更新。 先日Neftflixに公開されている『アメリカン・サイコ』を視聴しました。
『アメリカン・サイコ』は1991年ブレット・イーストン・エリスの長編小説を元に、2000年にメアリー・ハロン監督、クリスチャン・ベール主演により映画化されました。 もう26年前ですね。当時から面白いという評判でしたが、私は観る機会がありませんでした。 20年以上経って、たまたまNetflixのおすすめで表示されていたので観てみました。
エプスタイン事件との共通点
別にこの製作陣がエプスタインと何ら関係があるとかそういう話ではなく、この映画の内容自体が今わだいのエプスタインとそれを取り巻く上流エリート層と非常にダブル点が多く感じたんので久しぶりにブログを書きました。
まず、一連のエプスタイン事件をネットやXなどで見ていると世間一般の常識や法律、倫理、犯罪の外にいる人間たちの日常だっただろうなという感じがします。 一般の人が感じる死生観を遥かに超えている。人が自分よりも劣っている人間を殺したり、痛めつける事に何の躊躇もない事がわかります。
一般の人が躊躇する理由は、漠然とした倫理感であったり、人が作り上げた法律によって縛られています。しかし、本来そんなものは動物としての人間にはもともと備わっていなく、ただ「世間」という環境を維持するためのもなのかもしれません。 しかし、この倫理観や法律の外に出ることができたら、人はより自由に快楽を求めるんだと思います。
この点が映画『アメリカン・サイコ』と非常にダブった点です。
そして、さらに映画との共通点は、彼らが作り出した「世間」の中に自分自身も身をおこなければいけないというストレスだと思います。
例えば、クリントン夫妻、特にヒラリー・クリントンは一番残虐だったとも話を聞きます。 こんな事を聞いていると、自分達と遥かに劣っている国民のために自分の身を粉にして尽くさなけばいけないストレス、これを解放してくれるのは、倫理や法律から抜け出し、そのストレスの元となる根源である人間を虐待、殺し、食うことでストレスを発散していたのかもしれません。
多分、倫理や法律の外に出て自由にムカつく人を殺す事ができたら、スッキリするのかもしれないです。 この感情はどんな人でも持っている感情だと思います。
エプスタインの件はまだまだ謎が多く、現在公開されているファイルだけでは真相が掴みづらいです。 民主主義やグローバルな世界、人間的で秩序ある世界というのは、今までの価値観からすると狂気そのものなのかもしない。
今回のブログを書く上で面白い記事を見つけたので、共有します。 lucysullacultura.com
鳥山明先生が亡くなった事で想うこと
こんな事を書くと不謹慎だと思われるかもしれないが、今回鳥山明先生がお亡くなりになり、ふと思ったので書き留めたい。 鳥山明先生の作品の思い出は、確か小学校1年生の遠足の前日、親から500円をもらい近所の商店、今で言うコンビニの様なお店にお菓子を買いに行った時に、ちょうとたまたま『Dr. スランプアラレ』の最新巻が売っていて、お菓子を100円分だけ購入して、残りをそれに使った事を覚えています。当然親からひどく怒られた事を覚えています。どうしても欲しくなってしまい買ってしまいました。
その後、ドラゴンボールがアニメで始まり、夜7時に放送されていたと思います。その放送が野球中継で中断された時は非常に悲しかったです。
だんだんとドラゴンボールも悟空が天国に言って、ナメック星が大変な時に毎回毎回悟空は天国の道を走っていて、いつになったら界王神に会えるのかとイライラしていた事を覚えています。この頃からフジテレビや集英社は視聴率のためになんでもやるんだなと思い始めていました。
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