Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

日本人の階級序列への執着はどこから生まれたのか〜『菊と刀』を読んで

step up

ルーズ・ベネディクトの『菊と刀』はアメリ文化人類学者の視点からよく日本人を考察されていると思う。これは第二次大戦終結直前から日本人を研究した本だが、数十年経った現在でも日本人の習慣として残っている気がする。 彼女のまとめた『菊と刀』では、日本人の根底にあるのは階級序列だと言っている。

確かに現代でもその序列の真髄は大きく崩れる事なく存在している。ではなぜ、戦後から70年以上、さらに紀元前660年の神武天皇即位以来、日本人の根底として階級序列という概念が根付いているのか考えてみたい。

中国文化を模倣した日本文化

菊と刀』では日本の文化は中国が唐や隋の時代ごろから中国に渡り、多くの文化を中国から輸入して参考にしてきた。わかりやすいのは文字とかも漢字を輸入し、日本風にひらがなとしてアレンジして来た。その中でベネディクトが注目したのは「恩」の価値観である。先生や目上の方、家族などに対する恩は東洋文化でも先祖崇拝から来ている。 特に日本の場合はこの恩の価値観が他の東洋諸国とは違って成長しているといえる。

まるで金勘定と同じ恩の勘定

日本には恩にまつわる言葉が多い。「恩にきる」「恩をかける」「恩をうける」「恩を仇で返す」などなど。これらの言葉は恩の貸し借りの言葉が中心である。日本人は恩をお金勘定と同じような価値観で考えている。貸した恩と同じくらいの代償でなければ許さない人がいたりする。そのため、日本人は人から恩を受けることを非常に面倒だと感じる人も多くいる。借りた恩は返さなければいけないので、借りる事自体を避けるのである。

お中元やお歳暮、年賀状、バレンタインデーのチョコや誕生日パーティーのプレゼントなどなど、もらったからには返さなければいけなくなり、次第にもらうことが億劫になる。揚げた当人はそれほど気にしていないが、もらう側は非常に気まずい。 この価値観の根底には全て恩の貸し借りが潜んでおり、さらに、それを重じて来てしまった階級序列の考えが大きく影響している。

階級序列の価値観はどのように成長したのか

酷くなってしまった恩という価値観を育んできた階級序列はどのように成長して来たのか。ベネディクトの考察では、江戸時代に作られた士農工商が日本に階級序列を根付かせる基盤となっていると言っている。 社会の授業で習う士農工商は文字通り、武士を一番上に置いたピラミット状の階級制度である。戦国時代はまさに下克上、階級があればそれをひっくり返してきたが、江戸時代に入り、それは身分によってなくなってしまった。これにより階級序列の基盤は出来上がるが、それほど盤石ではなかった。200年も続いた徳川幕府の最後は、階級のトップである武士がどんどん貧しくなり、一番下の商人に金を借りるような世の中になっていった。それを変えるべく地方の下級武士たちが、攘夷を合言葉に立ち上がったり、開国を迫るようになっていった。

ここで、身分を超えた改革が達成できるかと思いきや、明治政府が作り出したのは、天皇を中心とした政府と国民という大きな枠組みである。天皇を最上級におき、国民はその恩を受ける形を作り出す。政治家たちは、そのシンボルの元、国に必要な機関を国が作り始める。渋沢栄一が作り出したのも民間ではなく、国が作り民間に流した形になっており、初めは全て国が作っている。

こうなると士農工商の身分は無くなったものの、天皇とトップに、次に政治に携わる一部の上層と、それ以外の下層に分けられていく。しかし、国民はそれほど不満を感じていない状態。徳川時代に受けた身分制度よりも、天皇を敬うことで納得している感じ。 この流れが戦争につながっていき、さらには、この階級序列の考えは今の日本人の骨身に染み渡っている。

はっきり言って最下層は楽

ここでいえることは、必ずしも階級序列が悪いということではない。最下層は日々何も考えることなく世の中が進んでいく。なので、目の前のことだけを心配していれば、なんとか暮らしていけた。なんだかんだ上になればいろいろとストレスが溜まるし、はっきり言って辛いだけ。 この価値観が良いのか悪いのかは個人個人考えがあると思うが、この本から学べる事は日本人には整理できない日本人の本質をしっかりとまとめているところ。なので、これを読むと確かに、これが日本人だよねという納得が生まれる。