Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

日本人の恩に対する考え〜『菊と刀』を読んで

Japan

相変わらずルーズ・ベネディクトの『菊と刀』を研究していきたいと思います。 前回は日本人の根底にある階級序列の話をしました。日本人の思考にある階級序列がどんなもので、さらに、なぜそれが日本人の核となってきているのかを菊と刀から自分なりに読み取って見ました。

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今回は、前の記事で少し話した「恩」について深堀したいと思います。

「すみません」に隠された意味

ルーズ・ベネディクトは非常に聡明な女性だと思います。その方が丹念に日本人を研究して、この本は日本人である自分でも気づかない日本人を正確に分析しているように思います。 前回のブログで東洋の先祖崇拝により「恩」というのを重んじてきました。日本人の場合はこの恩が借金の債務返済のように貸し借りの概念として受け入れられているとベネディクトは言っています。確かに私たちの感覚の中に「恩を返す」や「◯◯に対する恩がある」という考えがあります。日本アニメやドラマでも良く題材として使われます。

日本人がよく使う「すみません」という言葉から恩が返済行為だということがわかります。例えば、全く知らない人が自分の落とし物を拾ってくれた時に「すみません」と多くの日本人は使うと思います。この場合、英語に訳すと「Thank You」になるかと思います。しかし、中にはThank youよりもどちらかというとSorryの意味合いが強い人もいるかと思います。 なぜ「ありがとう」ではなく「すみません」なのか、それはこの言葉の背景には「見ず知らずの人から恩を受けてしまった。悪い気がするから謝った方が気が楽になる」という意味合いが込められているとベネディクトは言っています。

この様に自然な振る舞いからも日本人がいかに恩というものに支配されているかがよくわかります。

恩の返済行為

ベネディクトは、この恩を返済の行為には2種類あると言っています。それは「義務」と「義理」です。 義務は、返済完了することがない行為で、義理は借りた恩と同じだけの対価を返済する行為だと言っています。

義理とは

さらに、義理には「忠」と「孝」が存在しており、忠とは忠義を意味しています。これは「皇恩(こうおん)」であり、天皇に尽くすものであると言っています。戦中の日本人が非常に重視していたのはこの皇恩だと言えます。そして、もうひとつが「孝」で、これは親や周囲に対する恩だと言っています。「親孝行」に代表される言葉です。皇恩は国に対する恩と言っても良いと思います。その恩は返済完了がなく常に返続けなければいけない恩です。 時代と共にこの忠義が薄れているのは実感していると思います。多分いまの時代、天皇が「戦争に行ってきて」と言ったとしても多くの人がどこまで従うかは疑問です。

孝もまた薄れている感情で、どちらかというと義理に近くなってきている気がします。昭和時代は「家族」というのが非常に重量しされていたような気がします。自分が小さい時も正月になれば親戚一同が集まりお祝いをしていたように思います。お葬式とかでもそうですね。段々とその傾向も薄れてきています。

義理とは

逆に今は義理が強くなってきている気がしており、こちらはベネディクト曰く、恩と同じ対価を求められるケースが多くあります。「俺の恩に対して、泥を塗るのか」など同じ対価の行為を求められます。そして、この義理は日本独特の文化で、ある意味日本らしさの一部だと言われています。

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義務と義理の違い

義理を調べると、「仕方なく」という言葉が出てきます。この点が大きく義務と違っており、義務は生まれた時点で全て背負わなければいけないことで、これは嫌いとか好きとかの問題ではなく既に持っている行為で、義理はわざわざそれを行わなければいけなく、本人の意思などとは関係なく行う行為です。これが顕著に現れるのが、義理の家族だと言います。この時代はまだ長男と結婚したら、その家に嫁ぐことが当たり前で、ある意味全く見ず知らずの老人と暮らさなくてはいけなくなるのです。 この本を読んでその義理の家族の重圧が大きいことにつくづくよく理解できました。

日本人は生まれた時から、この恩を背負わされて、その恩に報いるために日々奮闘していると言えます。その恩に報いるために多くの事を我慢して生活していると言えます。社会構造自体が非常にストレスフルな構造であるのがこの本を読んでいると良く理解できます。これは日本人では気づかない視点なので、ぜひ多くの日本人に読んでもらいたい本です。 なぜ、こんな息苦しい世の中なのかよく理解できます。 これを賛美する日本人も多くいると思いますが、自分達の首を自分達で締めているような気がしてなりません。

自尊心の違い

本書にはアメリカと日本では自尊心に対して大きな違いがあると書いています。

私たち国家(アメリカ)では自尊心は自分自身の問題を処理する能力に左右され、日本では自尊心とは、恩人と誰もが認める相手に受けた借りを返すかどうかで決まる。

これは、民主主義的な自尊心のあり方から大きくかけ離れています。このことは現代でも何も変わっておらず、実際に今の日本でも大きな問題を解決した人よりも、それぞれの恩に報いた人間の方が評価される現実を目にしていると思います。もちろん、これはこれで良い面があり、アメリカの考えが絶対に正しいとは言えませんが、どちらが問題を解決したかというと、日本の考えでは何も解決していない場合があります。

私がつくづく「日本人はバカだ」と思うのは、この点なのかもしれません。