最近テレビとか見ていて、非常に腹立たしくなります。特に朝のワイドショウぽいニュース番組とかも。制作している人間や、原稿を読まされているアナウンサーとかもよく我慢できるなと思います。
私はWEBデザイナーをしています。一応、デザイナーという肩書きが付いている分、デザインを行っています。
デザインする上で一番重要になってくるのが、「なんで、必要なんだっけ?」という疑問です。これがないでただ漠然と絵を描いているだけどだ、デザインとして成り立ちません。全てのことに理由がなく、ハリボテ状態なわけです。
そういうのを職業にしていると、人の言動がとても気になります。ちょっとした人の言葉や行動には必ず理由があります。だから、クライアントの一つ一つの発言すべてに理由が見出だせます。そうするとおのずとデザインすべきものが見えてきます。
そのため、ニュースなどに対しても理由を求めてしまいます。理由自体はその本心の言い換えられた状態のもので、理由があれば、別のアイディアが生まれるからです。
しかし、今、多く目にしたり耳したりするものには理由が全くありません。多分、僕なんか世代の人間が理由ないことに違和感を感じてないんだと思います。方程式を方程式としか教わってないので、その方程式そのものに対して何の疑問も持たないことに慣れすぎているんだと思います。
母の日のカーネーションの色
たまたま、娘の幼稚園の張り紙で母の日のカーネーションに関して書かれた張り紙を見つけました。そこには「母の日には赤いカーネーションを贈りましょう。それ以外の黄色や濃赤などの色は避けましょう。」と書いてありました。何で使わない方がいいのかは一切書いてありませんでした。
子供向けだから、その程度になっているのかもしれませんが、この考えが一番危険だと思いました。子供だろうと大人だろうと理由を求めています。子供だから理由を教えないと結局何も残らず、何も発展がないことになります。
多くの人が、この傾向にあると思います。理由がわからず、ただそれに従っているだけのことになります。
結局、誰も理由を考えない
指示する立場の人で理由を説明しない人の傾向には面倒だからという理由と、理由自体がわかっていない人がいると思います。その事を深く考えないため、理由に辿りつけず、自分の頭の中でもその理由を考えつくせていない傾向にあります。
結果的に言われた人間もそれに従わざるおえない状態です。磯野家の父波平も同じ傾向です。彼も、カツオに厳しく叱るシーンがありますが理由を一切説明していない様に思います。この様になると結果的にカツオは何が間違いだったのか理解せずにまた別のいたずらを考えてしまうことになります。
これは、カツオ自体が怒られる事で事が済んでいると認識しているからだと思います。重要なのは、次に起きない様にするためです。表面的な注意や指示だけでは決して発展しません。
ちなみに、カーネーションは赤が母親が健在の場合に送り、白は母が亡くなっている場合に使用する色らしいです。黄色や濃赤は花言葉的によろしくないからだそうです。
しかし、そもそも、花言葉自体がいかがなものか、その理由を考えた方が良さそうですが。