Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

バカな局-『情熱大陸 視力聴力すべて失った彼が東大先端科学研で描く未来」

TBSの『情熱大陸 視力聴力すべて失った彼が東大先端科学研で描く未来(2005/03/26/23:15 http://www.tbs.co.jp/program/mbs_jyonetsu.html�)」を見て非常に腹が立った。

どの局にも癖があるが、私はこの局の報道にはほとほといらだちを感じる。とくにドキュメンタリーになると非常に腹がたつ。なぜだろう、ナレーションの節々が健常者の立場のみの表現をしている。

我々が健常者でいられるのは単純に多数であるからである。そしてその多数が社会を作っている。もし報道という立場にいるのであればその社会性を訴えるべきであり、視聴者のお涙をさそうだけの報道はやめてほうしい。

なんか、そのテーマを報道した事に満足しているような気がしてならない。多数からみた悲しみが本当に当事者と同じ心境なのだろうか?感情論を先行させた報道姿勢をとるよりも中立な立場の報道姿勢をとった方がまだ健全である。

今回のテーマであるならば、現状の生活態度と経緯、そして彼らの特異のコミュニケーション能力の発達を報道した方が中立だと思う。これが経営的な面で不利なのはよくわかるが、それが報道する根本であると思う。

会社としての報道において、絶対的な中立を成立させる事は不可能。それが明白なのに報道関係者はその事をいっさい表現しようとしない。なぜ自分たちが営利のもとに報道していることを訴えないのだろうか?

今、現在の日本の放送局には28年しか生きていなくても、すぐに疑問を感じる事ができる。

自らが営利の元で報道している事を広く訴えれば、見ている側はより中立に見る事ができる気がする。しかし、その事も営業妨害になるのか?

しかし、今後端末の技術が発展する事により、放送されるコンテンツ内容、表現方法も変わざるおえなくなってくる。それが今までの放送技術では追いつかなくなるのは明確だ。そのときに放送局は自らが一株式会社である事を実感する事ができるように思う。現にその予兆は表れてきている。

話がそれて、なおかつ意味不明である。すみません。そんな事を感じる日曜日の夜です。