Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

『絵画で読む聖書』を読んで

Bible

 中丸明氏の『絵画で読む聖書』が面白すぎるので、書き留めて置きたい。

絵画で読む聖書 (新潮文庫)

絵画で読む聖書 (新潮文庫)

 

 一見、アート系の絵画の解説本だと思ったら大間違いで、タイトルが間違えているのではと疑うくらいの絵画と聖書の話の分量が入れ替わっているくらいである。

むしろ、『聖書の解説(絵画の挿絵入り)』というくらい絵画の話が少ない。

 聖書がより身近で親やすく書かれている

タイトルもそうなのだが、中身も驚くくらい面白い。聖書の解説本で、表紙に絵画とか使ってしまうと、いかにも教科書のような真面目そうな本だと思ってしまうのだが、なかなかどうして、全く真逆の本である。

表紙にアダムとイヴを使っているのは、読んでいくと納得がいくが、初見では生真面目な印象の方が強いだろう。

冒頭で述べた通り、絵画の解説はそれほど出てこない、旧約聖書から新約聖書のストーリーを著者の目線で描いているのだが、著者の目線が下世話なのがより面白いところである。聖書内で描かれる登場人物の会話が全て名古屋弁(?)で会話されている。まるでアラレちゃんに出てくるニコちゃん大王である。

そして、話が概ね下ネタになりがちになる。多分、本来はこの程度なんだと思う。本を読みながら聖人たちが名古屋弁で下世話な話をしている光景は非常に親が湧く。

本来の聖書の受け取り方

私などは純日本教育の元、儒教の教えを受けてきた人間なので、聖書や絵画という印象が教育番組のお堅いドキュメンタリーなイメージを持っているが、しかし、冷静に聖書の話を考えると残酷で、男女関係はドロドロ、近親相姦も頻繁な世界が繰り広げられている。

例えば、有名なアベルとカインの話は、聖書の中では人類最初の殺人で、さらにそれが兄弟殺しである。弟に嫉妬した兄が殺してしまったんだが、今の世の中よくある話である。

そして思うのが、直接的な表現を避け、より綺麗に情景を表現しようと、聖書を伝承した人たりが考えると、今の俳句のように何かを比喩しながら書くのは、書き手の心理として容易に伺える。

本当はエロかったアダムとイヴ

本の最初の話はアダムとイヴの話になる。最初に神に似せて作られたアダムと、アダムの肋骨から土を使って作られたイヴがいて、初めは仲良く恥じらいもなく裸で暮らしていた。それが禁断の果実を食べると羞恥心が生まれて、その事が神に知れ渡ってエデンの園を追放されてしまう。

著者の妄想では、禁断の実は実はイヴのおっぱいではないだろうかと考えている。確かに、イヴがアダムをそそのかし禁断の実(身)を与えるの構図になっている。それを比喩的に表現すると、「果実=性的な物」と受け取る事もできる。

他にもこれと同じくらいの下ネタや、殺戮などの話が盛り沢山である。

キューブリック作『時計仕掛けのオレンジ』で、主人公のアレックスが刑務所で聖書を読みまくっているシーンがある。その時の妄想はまさに殺戮とエロスの妄想シーンである。この本を読むとそのイメージが常に頭の中を過ぎる。

人はどうしても過去を美化してしまう、特に神にまつわる話は神聖なものとすべく、解釈で歪められてしまっているのかもしれない。実際の当事者としたらそれほどすごい事でもないのかもしれない。