時の流れは早いもので、うちの娘もこないだ生まれたばっかりだと思ったら、今年の4月から小学校に通い始める。兄貴の息子も晴れて高校生なのでお祝いを兼ねて、実家に戻ったら、発掘の調査説明会が行われていた。
そこは、まさに昔住んでいた実家の真下から発掘された遺跡の調査説明会だった。
第二東名建設に伴う立ち退き
20年以上前から第二東名の話があり、やっとここ数年で開発が地元秦野で行われていた。我が家もバッチリ開発圏内に入り立ち退いた。
そして、開発が進むとそこから遺跡が出始めたらしい。初めは実家から数百メートル登った所に江戸時代の天地返しの跡が出土。
江戸時代の天地返し
天地返しは富士山が噴火した時に秦野あたりは火山灰が降り積もったらしく、降り積もった火山灰とその下の層をひっくり返さなくては行けなくなったらしい。これをその当時のお殿様に申し出て作業を行ったらしい。この跡からさらに掘って縄文時代の住居跡が見つかった。
そして、実家跡もこの縄文時代の住居が見つかった。
この場所が集落があったようで、数軒住宅が連なっているらしい。一見、この住居あとが同時代に存在していたように見えるが、そうではないらしく、数年にわたって家の建て替えなどがあったらしい。
さらに、この中央にある石が敷いてある住居が一番規模が大きく長老的な人材が住んでいたのらしい。この建設方法が石が敷いてあるので、敷石住居と呼ばれているらしい。
そして、まさに、この上に我が実家があった場所なのだ。確かに住んでいる時から何かパワーを感じていたような、いないような。
こういう機会があると歴史のロマンを感じる。
列石に見る文化の継承
さらに、調査が進むと、いろいろなところに石を並べた形跡見つかっている。
この写真の手前にあるのが列石である。その奥に見えるのが配石と言われて丸く石が並べられて、中央に大きな石を置いている。多分、お墓だったのではと説明がありました。今後これらの石の調査がされる。
このような列石や配石がたくさんあった。列石の並び方にも色々あるらしく、この遺跡から発掘からはいくつかの石を横に重ねて、その隣に縦長の石をおく壁のように並べていたようだ。この並べ方が、もう少し離れた地域でも発掘されており、さらに青森の方にもあるらしい。
この様に文化が継承されているのを実感できた。そして、この遺跡からは奈良・平安時代の遺跡も発掘されている、そして江戸時代の天地返しの後など、年代をまたいで遺跡が発掘されている事は、この地域には昔から人が住み着いていたと思える。
そう考えると、この地域に住んでいた自分もどこかでこのルートに乗っている様にも感じる。遺跡はつくづくロマンを感じる。また何か発掘されたら書こうと思う。
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