先日(2006年5月29日)に今話題の佐藤可士和氏のセミナーに参加させていただきました。
http://www.axisinc.co.jp/forum/forum.html
彼の存在を知ったのはキリンビールのポスターを知った時でした。原色に近い色とやたらとでかいフォント、シンプルでありながら大胆にレイアウトされたポスターはひと際目を見張りました。
第一印象はすごいユーモアがあって親しみ易い人だなと言った感じです。メディアの写真などからは想像しがたい人間像でした。
セミナー内容は彼の最近の仕事である「明治学院」と「ふじ幼稚園」のブランド構築の話を主に最近の報告をかねた物でした。
全体を通して言える事は話がうまい、という事です。異常なくらい自然でなめらかな講義に圧倒されました。ただただ、聞くのみのセミナーになっていました。もちろん、同様のセミナーやプレゼンといった形で多くの人を前にしゃべる機会が多いので理解はできるのですが、あそこまで流れがスムーズだとアドリブなのか、原稿の丸暗記なのかよくわからなくなってきます。
少なからず言えることは、ずば抜けたコミュニケーション能力の持ち主である事は間違いないと思います。
僕はどちらかというと、大衆に対するアンチテーゼを常に心に秘めている人なので、彼にたいてもいくらかの反抗の意は持っていましたが、講義が終えたとたん180度変わりました。まー影響され易いという点もあるんですが。
明治学院やふじようちえんのプレゼン内容とかを聞いていると「でっ最後はどうなの?」という期待感が湧いて引き込まれる感じがしました。もし僕がクライアントなら即決でお金を払いたくなりました。
その理由として、彼のリサーチのすごさです。一つの仕事でここまで調べるのというくらいにクライアント状況や現状の状況、今後の展望などなどありとあらゆる事を細かに調べ尽くしているのは、講義中の彼の話の随所から伺えます。
そして、そこから生まれる選択肢の選び方、決定のプロセス。すべてに理由がありコンセプトがからむ。センスが先にあるのか根拠が先にあるのかわからないですが、その二つがバランスよく具現化されている様はすばらしいといしかありません。
最近自分でも自分の感覚を言葉に落とし込む努力をしています。今更なのですが視覚的表現を言語として相手に伝えることがこれほどまでに難しいことなのかと改めて感じました。今までは仕事も絡んでいなかったので、「かっこよければいいじゃん」と思って言語化を怠けていたのですが、なかなか「かっこいい」だけだとお金が落ちない事に気づきました。
デザインにおいてクライアントに言語で視覚要素を説明するのは必要なことですが、音楽関係だとこの作業は必要なんですかね?ちょっと思ったのは、音楽こそ「かっこよければいいじゃん」が通じる世界だと感じたんです。
その理由は聴覚的表現のほうが感情に近いからだとおもうんです。視覚表現で与えることができるのは非常におおざっぱな部分で繊細な感覚までは伝わらないんじゃないかなと思いました。
例えば、寺とか神社とかの仏像やビルとか、橋からの風景とか、もちろん触覚とかの助けもあるのかもしれないけど純粋な視覚からの感情のうごきって大きいとか高いとか、そういったおおざっぱな感覚しか与える事が出来ないように思いました。
自分はこの分野に多少長くつかっているので、制作者の意図とか価値観、精査段階での苦労とかを多少感じられますが、細かい感情の変化って少ないです。それよりもむしろ音楽を聞いている方がこの音楽は良いとか悪いが明確に感じられます。
その点で音楽分野には他人に作品を伝える意味での言語化の作業がいらないように思いました。
まっその反面、好き嫌いの判断が露骨にでるのはあると思います。
高校時代に、「口があるんだから説明しろ」と友人が言った事を今でも覚えています。
ほんと、自分の気持ちを伝える時はストレートに言葉にするのが一番伝わりますね。