情報のパラドックスという考えがあるらしい。ホーキングが唱えているもので「1ビットの情報をブラックホールに投げ込んだらどうなる」というものらしい。内容はあまり十分理解できていないが、僕の解釈だと「情報」というものが「エネルギー」と等しいことのように感じました。
もし、「情報=エネルギー」だとしたら、そのエネルギー(情報)を受け渡すことが行われていることになる。
エネルギー保存の法則
「熱力学第二法則」という法則がある。エネルギーは常に一定である、一定でいようとするというようなことらしい。これも僕の解釈だと、例えば、ビリヤードで球を打って他の球に充てる。自分で最初に打った球の力(勢い)は次にあたたった球に伝わり、ほぼ同じ勢いで進む。当てた球は力(勢い)を次の球に移すことで止まる。
この様に力は受け継いでいく。摩擦など余計なものがなければそのエネルギーは永久的に動き続けることになる。
では、最初にこのビリヤードの球に力(エネルギー)を作ったのは何か?。それは球をついた自分の腕となる。では、この球をつくための腕のエネルギーを作ったのは自分自信になる。つまり、ビリヤードを行う前に腹ごしらえをしたのなら、その食物が体内に吸収され、出力されたことになる。食物からエネルギーが受け継がれたことになる。
しかし、その食物は人にエネルギーを与えることで消滅している。この様に自然も含め大きな視点で考えてもエネルギーは常に受けつがれていることがわかる。
情報=エネルギーの受け継がれ方
最初の話に戻ると、もし、「情報」がエネルギーだとしたら、本とかに書かれている情報は本を読むことによって人に受け継がれる。その他にも視覚的情報の絵画やデザインにも同じことが言えると思う。
本を読んだり、絵を見たり、映画を見たりすることで元気になることがあるが、これはそれぞれの作品からエネルギーを受け継いでいることになるのではないかと思う。
このエネルギーを作っているのもその著者や作者から作られている。映画などは関わっている人が多いから、そのエネルギーは大変大きなものだと言えるのかもしれない。
そして、第二法則を考えると、例えば何十万部も売れたタイトルは、それだけのエネルギーをその本が持っていたと言えます。何十万の人にエネルギーが伝達されたものと言えるのかもしれない。
しかし、疑問があり、その何十万部も売れた本の著者は何十万の人に与えるだけのエンレルギーを込めるていたのだとうか?。数年をかけた超大作のものはやはり、それだけのエネルギーが作品に込められるが、数時間で作成したものがそのエネルギーを伝えることができるのだろうか。
エネルギー保存を超える何か
少しのエネルギーでそれ以上のエネルギーを生み出すことができたとしたら、数時間の作成で数万人にエネルギーを共有することができるのかもしれない。
実際、NASAが開発した「EMエンジン」というエンジンは光よりも速く移動できるらしい。このエンジンは今までのエネルギー保存の法則の原理から反していると言われています。
もし、この様に効率的に供給エネルギー以上のエネルギーを出すことが現実的に存在するのであれば、情報にも同じ様なことが言えるのではないかと感じる。
つまり、本やデザイン、アートというものは作者や作成に関わった人間のエネルギー以上のものを情報として格納することができ、それを多くの人に供給することができるものではないかと思う。