Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

常識の弊害(元少年A『絶歌』を読んで)

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元少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の手記『絶歌』を読了しました。

はじめは購入をためらったが、自分自身この事件に当時の自分が影響を受けていたようで、当時描いていた絵などに題材として取り入れていました。被害者少年の父親が出版した手記『淳』も当時読んでおり、10代の少年による残虐な犯行として非常に印象に残っています。

 『絶歌』は被害者の許諾なく、強行的に出版されていたため、販売停止になる声もありました。販売停止になり購入できず、中身が読めなくなることを恐れ、購入に踏み込みました。

結局自己満足の内容

一気に読み終えたけど、結局元少年Aの自己満足に過ぎないという印象です。彼の生い立ちから事件発生し、その後の生活が描かれています。肝心な事件当日、犯罪をおかした時の様子は描かれていません。事件が発生する前の彼の心情やその変化の過程を自分で分析しています。

祖母の死が原因で死について考えるようになり、いなくなった祖母の部屋で初めて精通を覚えます。彼曰くこのことで死と性が彼の中で結びついたらしいです。さらに、祖母が大切にしていた犬が死に向かっていく犬を脇目に犬の餌を目当てにくる猫への恨みがつのり、猫への虐待が始まります。猫を虐殺する際に起きた射精でより強く死と性が結びついたと分析しています。

状況は良く理解できるのだが、それが生命を殺す理由にはならないと感じました。謝罪の文面や後悔というような言葉もでてくるのだが、全体的には自分の状況を紹介して認めてもらおうというような内容と感じました。

影響を受ける人もいるのでは

こういう内容で、感じるのがなぜ出版社はこれを世に出そうと思ったのか、出版社側の浅はかな考えが浮き彫りになります。たぶん、出版サイドとしては、あそこまでの犯罪を犯した人物の思いを世に出すことが目的だったんだと思います。

というのも、文体が叙情的で書いているので、殺人を抜きにして考えると彼の知的な面がとても良く出ています。たぶん、もともと映画などに興味があり、知的な好奇心が非常に高く、さらに、捕まっている間に多くの文学などに触れたんだろうなというのが伺えます。しかし、よくよく考えると、殺人を犯したからこそその文章に意味が出ているような気がしました。

もし、彼が殺人を犯していなく単純に本を書きましただけだと、この文体は果たして意味があったのでしょうか?

www.huffingtonpost.jp

さらに、感じるのが殺人とこの叙情的に表現(美化)された文章を読んで、むしろ、彼を崇拝する人も現れるだろうと思います。すでに酒鬼薔薇聖斗を尊敬している若者もいると聞きます。その残虐性と非常に薄いけれど社会に対するメッセージ性は同年代として大きなインパクトがあると思います。

そして、もっと考えを発展させると、本の売り上げを上げるために殺人を犯す。ことも発生するかもしれないと感じました。

常識を鵜呑みにした弊害

本を読んで感じるのは、悪気が全く感じられないことです。犯行を犯した当時も彼自身には全く悪気を感じていないんだと思います。変わりゆく家族の様子などを見て初めて自分の犯した犯罪の大きさを理解しているんだと思いますが、彼は頭でしか理解していないように思います。彼の中には「人を殺す」ことを悪いという認識が全くないんだと思います。

彼の両親は全く普通の人思です。なぜ、この家族から少年の精神の中に残虐性が生まれたのか、単純に「サディスト」の言葉で済ませるのは非常に安易だと思います。

もし、戦時中に彼が軍隊に入り戦争で人を殺したとしたら、同じような性的な衝動にかられるんだろうか。そして、この本を読み終えた後思うのは、「人を殺してはいけない」という概念を現代の世の中で真剣に考える機会はどのくらいあるのでしょうか。

学校の道徳では人のものを盗んではいけないなどの日常的に起きやすい軽い犯罪に関しては話し合う(?)、教えられる機会はあると思いますが、より深い問いに対して大人になるまでにどのくらい考えることができるのだろう?

中学生や高校生にもなると漫画を含め文学に触れる機会があると思うが、僕が過ごした高校時代では哲学や文学も結果的に受験のための教育だったような気がします。ましてや小学校時代には物事を深く考えること自体教えているのでしょうか?

もしかしたら、この事件は「常識的に人は殺さないだろう」というような根拠のない常識にとらわれ過ぎ、本質的な人を殺してはいけないという事を真剣に考える機会がなかったのではないでしょうか?

淳 (新潮文庫)

淳 (新潮文庫)