2008年の年末に爆笑問題が司会を務めるバラエティ番組に池田清彦という評論家が出演していました。番組の内容は近未来の出来事を解説するもので、池田氏は率直な意見をざっくばらんに言っているのが印象に残りました。
以前から気になっていて、人間性がテレビを通じてここまで垣間みれたので、何か著書を購読してみようとおもいました。他にもいくつか本を書かれているのですが、まずは簡単に読めるものと思い「科学とオカルト」という本を購入しました。
「科学とオカルト」は科学とオカルトの違いをいくつかの視点で描かれています。私は、科学はいつかすべての自然現象を解明できると思っていました。 しかし、この本を読むとその科学の限界が非常によくわかりました。
科学とオカルトの違い
この本中で、科学とオカルトの大きな違いは共有性と言っています。科学は自然現象をどんな人が実験・観察しても同じ結果が生まれることで共有性を見つけています。しかし、オカルトにはこの共有性がなく、個人の見解だけが証拠になります。ここが大きく科学とオカルトの違いになります。
言い換えると、科学になるためには共有性を持ちえないといけなくなり、共有できない現象に関しては科学とはいえなくなります。本の中ではオウム真理教に関してのことも触れており、この科学で賞めできない現象とぶつかった時に科学への信用がなくなり、オカルトという現象を信じてしまう過程が書かれています。
宗教内のオカルト
しかし、ここでまた面白い現象を述べています。 オカルトという分類に存在した宗教のことです。その宗教内で利用されていたシステムが、現代社会のシステムを多分に使用されているそうです。たとえば、オウム心理教内で使用されていたマニュアルは、教祖とされた麻原の超能力に近づくものです。そのマニュアルは「レベル1」から「レベル12」まで別れています。その他にも、省庁制を取り入れたりと、自分たちで社会からの断絶を作っていた割には、社会システムを利用していたということです。
この様に本の中では現代のオカルトと科学も詳しく述べています。現代科学もまたオカルト的になっているそうです。科学自体が細分化され、非常に細かいカテゴリで成り立っています。現代の科学は一般の人からは非常に遠い存在になっています。それは先に述べた共有性が薄れていることです。 科学とオカルトの境がよくわかり、その歴史と未来が面白く書かれた一冊でした。
2015年追記
2015年にこの記事を読み直しまさにこの本で書かれていた、科学がオカルトに成りつつあり、一般との共有性が希薄になっていることを痛感しました。2014年に起きたSTAP細胞の件はまさに共有性の希薄からくるものだと思います。