Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

意識は幻想

Consciousness

量子力学の本などを読んでいると、だんだんと疑問に思えてくることがある。それは、「意識」というものだ。意識とは一体なんなのかと常々疑問に思えてくる。

なんとなく「意識」といるのは幻想でしかない様な気がしてならない。多くの人は意識というのが自分を表すものだと思うかもしれないが、しかし、よくよく考えると意識ってよくわからないのが実状。

先日投稿した記事でも、養老先生曰く意識の定義自体が曖昧だということ。なんとなく、意識とは無意識の反対として言われているが、実際よくわからない。

300ミリ秒後に気づく意識

量子進化の話では、五感で感じた後に、無意識が最初に過去の経験や記憶を元に反応を起こす。その300〜400ミリ秒後に意識が同じ様に過去の記憶などを元に、それを処理することがわかっている。つまり意識にできることは、その無意識の反応を止めることだけなのだ。

私たちがいつも思っている「意識」というのが無意識の反応に GO / STOP の指示をしているだけなのだ。

無意識:「意識さん、感覚器官からこの反応が来たので、この前のあったあの様なことにならない様に対応しようと思います。いかがいたしましょう。」

意識:「えっちょっと待って。だけど、あの時はあれだったから、それ今はSTOPしておいて。」

という様な感じだろう。もし、この意識が優柔不断だったり、保守的だったとしたら、多分、どんな無意識の良い行動でも全て全てSTOPと判断されるだろう。うつ病の状態などはこの状態なのでは。ということはいかに無意識の自分に気づいて、それを解放することがもしかしたら状態の改善につながるのではと思う。

Don't think, Feel.

まさにブルスリーの「Don't think, Feel」の世界だ。考える・思うこと・意識することは無意識で反応する事をSTOPさせる事なのだ。

では一体、この意識とは一体なんなのか。なんとなく一般的に「意識=個性・自己」という様に結びついている。もし、自己意識こそがその人を示すものであれば、その意識自体は一体何なのか。無意識も過去の記憶や身体的な記憶などを頼りに反応する、意識も同じ様にそれを採用して反応する。ここで個人である証拠は過去の記憶にすぎない。過去の記憶が改ざんされたとしたら、その人の個人としての証は一体なんなのか。

その様に考えて行くと、我々が我々だとしているのは過去の記憶でしかないのではないだろうか。意識自体に個人としての反応はなく、個人を示すものではないと思う。

我々が自分自信だと信じているものは全て幻で、なんとなく、「意識」という高貴な個人が存在していると思い込んでいるだけだと思う。

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

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