Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

「しょうがない」の範囲

会社でトラブルが起きました。それほど大きな問題ではないがいろいろと対応する必要がありそうです。こんな些細な事が先々月から度重なり、精神的にもやられてしまい、心療内科で薬を貰って生活しています。

何が自分を悩ませているかというと、トラブルが起きたことは仕方がないと感じるのですが、その後の対応が自分の中でネックになっている事を実感しています。

結果的には「しょうがない」と最終的に先方を納得(?)させる必要がある事なんですが、その納得の仕方をどうするかが常にもとめられ、考えなければいけないことだと思います。そこで思ったのが結果的にどんなことも「しょうがない」ことになるのかなと思いました。その「しょうがない」状況をつくるのに(相手を納得させることに)メールを使うのか、電話をするのか、出向いて話すのか、いろいろな方法があり、それでも足りなければ他の方法を考える必要があるように思いました。

たぶん、その相手の中でそれほど大きな事でなければ「ごめんなさい」のLineで済むのかもしれません。しかし、その内容が大きくなかなか「しょうがない」状況になることが難しい場合は土下座をするのか、弁償するのかという事なんだと思います。

個人的であまりにも極端な考えですが、つまり、世の中での人間関係や仕事の大半はこの「しょうがない」状況をどのくらいスムーズに対応できるかが常に大きな課題になっているような気がしました。簡単に「しょうがない」状況を作り出せるために、それまでの工程を丁寧にしたり、その後の対応も慎重になる必要があるのかと思います。

自分は、その後の対応があまりにも苦手だということを今回の件で学びました。土下座をしたくないわけではないですが、「土下座で済むのか」という不安になります。人ってそんなに謝るだけで、それまでの事態が変わるのかいつも疑問でした。

 自分に置き換えてみろとよく言われますが、その状況に自分をおいたとしたら全て許してしまいそうな感じがします。やはり、この感覚が自分にとって一番難しい感覚なんだとこの記事を書きながら実感しました。