Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

2021年開催の東京五輪について

tokyo olympic stadium

今はなき代々木公園がFlickerであったので載せてみました。 多分、この機会を逃したら書くこともないと思うので、今話題の2021年開催の東京五輪についてタラタラと書いて行こうと思います。

なぜ、このタイミングで書こうと思ったのかというと小山田圭吾のいじめ問題が出ました。開会式の音楽担当が発表された直後に報道されているので、五輪反対側の意思が見えてきますよね。

特別扱いされる東京五輪

注目したいのが、他の件でもそうですが、何かと東京五輪が特別扱いされているという点です。 例えばこれが別のスポーツ大会の開会式のテーマソングだった場合、開会5日前でも絶対に変えると思うんですよ。芸能人の覚醒剤問題でも映画とか公開していても中止になるケースがあります。しかし、今回は絶対にならない。「東京五輪だから」という点で対応が違うところが納得できない。

ジジィ達のノスタルジー

なんでこうなるのか。私が思うに東京五輪はジジィ達のノスタルジーなんだと思うですよね。前の東京オリンピックは1964年で、57年前です。東京オリンピックパラリンピック前会長の森は当時27歳。その当時自分が体験して感動したオリンピックをまた死ぬ前に体験したいというのが一番強いんじゃないかと思います。 これって、私たちにも近いところでこの感情を理解できます。例えば、初期ガンダムが印刷された商品であれば飛ぶように売れたり、桃太郎電鉄が復活したら売れたりする心情と近いものがあって、その当時の自分の感情が蘇ってくるんだと思います。けど、たかがその感情なんだと思います。 若かれしあの当時の自分を蘇らせたいんですよ。まさにノスタル自慰。そんなことに付き合わされてるって最悪じゃないですか?

足元見られている日本政府

さらにアホなのは、このジジィ達を誰も止められないというかむしろそいつらに踊らされている馬鹿な現役議員。前総理大臣含め、誰もこの痴呆入っているジジィを止められないという、情けない。IOCとかはベルリン大会も開催した。世界がこれから戦争になる状況なのに、さらにナチスドイツ軍の脅威を感じ始めていた時に彼らはオリンピック開催に踏み切った。つまり、IOCはもともとそういう団体で金さえ払えば開催できる。「スポーツの祭典」とかブランディングしてるけど結局はそれを元に自分たちの懐を温めているだけ。 そして、今回のカモに日本が選ばれた。それを後押ししているのがノスタルじーさん達。「小規模五輪」とか言っていたけど、なんだかんだで金を払わされてる。 正直、こんな馬鹿げたスポーツの祭典に参加しようと思う選手もアホだと思う。

スポーツマンシップって?

今回の五輪では参加しない国や選手が多くいると思う。逆にそのぶん金を取りやすくなっていると言える。馬鹿な元柔道JOC会長とかはその競合が少なくなってるから「金をいっぱい撮ろう」とか言ってる。スポーツマンシップってそんなもんなんですかね?確かに、オリンピックで金を取りましたと言ったら今後のアスリートとしての価値って大きいと思いますが、強い奴が棄権して勝ち取った金って本当に素晴らしいって言えるんですかね?スポーツに全く興味がなくなった自分からすると「せこいスポーツマンシップだ」と思ってしまう。

矛盾する開催派の意見

開催賛成している人の中には右傾の人が多くいるような気がしています。気がする程度なので間違っているかもしれませんが。日本が行う素晴らしい行事だから反対するなみたいな人たち。ただ非常に矛盾していて、今回の東京五輪の位置付けって中国共産党も重要視しています。次の北京オリンピックに関わる大事な大会なので、中国共産党にしても開催して欲しいわけです。先日IOCバッカが「チャイニーズ」と「ジャパニーズ」を言い間違えしましたが、これで深層心理がわかりますよね。あの人って分かってないんでよ。日本人も中国人も。むしろ中国のことばかり考えているからああいう言い間違いをするんだと思います。 なので、今回の五輪が開催されて成功したとか言った日には「よし、これでどんな災害があっても開催できる」って中国共産党は思うんですよ。多分、どんな酷い状況になっても「コロナ禍で開催した前例があるから」で済むんです。中国共産党がどんなにひどい国だってバレても、「コロナよりマシだよね。」って言えちゃうんですよ。 だから、非常に不思議に思うのは右傾の人たちが開催賛成に回ったら自分たちで首絞めていることになるのにって思うんですよね。

日本の恥

つくづく前政権から続く恥の膿がどんどん出てきている感じです。これからもどんどん出てくると思います。一番気をつけないといけないのは、オリンピックに染まって、パラリンピックはコロナでごめんなさいされても、「あぁ、オリンピック色々とドラマがあって楽しかったね」で終わること。これって、「戦争で家族死んじゃったけど、戦争でドラマも生まれたよね。ある意味良かったよね」って言ってるのと同じ。