発達障害と国語の関係
先日、息子が回答した国語の問題で、主人公の気持ちを読み解く問題があった。主人公の発言「知っている!」と言う強い表現の裏にどんな気持ちがあるかを元に推測するものだった。
息子は、物語の流れを見て答えると言うより、その言葉自体から受ける印象だけで答えを導き出したそうだ。しかし、答えはその逆の心情が正解だった。この問題を見たときに、前から息子に感じていた事が理解できたような気がした。
高校の時に感じた印象
私も、もともと国語が苦手で、特に高校になってその苦手は表面化した。中学までの評価は他科目もあり、ある程度総合の評価を受けられるが、高校では2年生から文系と理系に別れ、評価を受ける科目数も少なくなった。
私は美術が好きだったので、文系を選んだが、それが間違っていたのかもしれない。国語は物語を読むスピードも遅く、あまり好きではなかった。そして、思春期の感情もあり、作者の気持ちやその物語の背景を読み取ると言う事が理解できず、当時の先生にキレた。
今、息子の国語の問題を見ながら教えていると、物語の文章の中にはちゃんと作者の気持ちも書いてあれば、主人公の想いも書いてある。多分、あの当時はその文面の表面的なところだけしか受け取らず、全く文章の繋がりや、それぞれの言葉の関係性を読み解く事ができなかったんだと思う。
読書は好きで、高校時代からもある程度本を読んでいた、フィクションも多く読んでいたが、多分、物語に書かれていた情景やストーリーがわかるが、その主人公の気持ちなどは読み取れていなかったと思う。だから、学術系の本ばかりを読み漁るようになったのかと思う。
発達障害と国語
私もそうだが、息子もその傾向があり、文章に書かれた心情を読み取れない。表面上の文章でしか感情を読み取る事が難しい。はっきりと「辛い」や「面白い」と言うような言葉が書いてあれば、それを読み取る事ができる。
しかし、ものを描いている作者からすれば、その心情を安易に言葉で表すのはヤボ、より抽象的な部分で心情を表す様にするだろう。さらに、国語の先生などもその理由を明確に教えることもしないと思う。なぜなら、教えられなくても、「この状況だったら主人公はこう思うのは当然だから」と思っているため、それを説明することすら頭に登らないのではないだろうか。
人の感情をつかみにくいとされる発達障害の子供は、逆につかみ取る情報が多すぎてしまって、どれが本当の情報なのかを見抜く事が難しいんだと思う。
確かに、今の世の中を見てもありえない事が多く起きている。さらにその情報も多く受け取る事ができる。だから、どんな状況でもいろんな可能性があると思えてしまう。だから、正確にその言葉がある時にそこにすがる事になる様な気がする。
今後の課題
私は高校卒業して、今になってようやくこの事に気づく事ができた。もっと早くに知っていればもう少し違った人生があったかもしれない。そして、私がキレた当時の周りの同級生は、なんでこんなことでキレているのかと思っていたのかもしれない。
先生:「ハイ、この時の作者を答えてみろ」
私:「そんなの、作者じゃないから、わからないだろう!」と授業中指されてキレながら答えた事を今でも覚えている。その後職員室に呼ばれ、話をしたが平行線のままだったと思う。
息子には早めに気づいてもらって、ある程度スムーズに過ごせる様にしたいと思っている。そのためにまずは文章に隠れている読み方を探ろうとするクセをつけさせる必要があるのかとも思っている。国語の授業を見直せと言うこともできないし、理解できませんといったところで、学校は卒業できても人生は苦しくなるだけなので、今のうちに対応を考えたいと思う。
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