テクノロジーの技術的発展は日進月歩だ。日々新しい技術やサービスが産まれている。先日googleは動画のコンテンツをマンガ風に仕上げてくれるアプリを発表した。
これは、予め取っておいた動画のいいあんばいにコマに分割して配置し、白黒にしたり画像自体を変更してくれる。これがまだまだ表現は荒いが簡単に漫画ができそうだ。
これと人工知能とネットワークを絡めると、多分、本当のマンガが自動でできてしまうのではないかと思った。
コンテンツが自動で創られる時代
例えば、ネットワーク上の人気なドラマなどがあれば、それをコマ割りにする。音声をテキスト化して、各コマに貼り付ける。これでほぼマンガの完成だ。さらに、よりキャラクター感を作るために、ドラマに出演している主人公の顔の部分を独自に描かれた顔に置き換える。
iphone Xの機能にAnimojiがある。これは、顔の表情を読み取り規定のキャラクターにおきかえて、あたかもキャラクターがしゃべっているようにその場で変換してくれる。
また、人工知能のサービスには好きな少女キャラクターを自動生成できるサービスもある。これで、簡単にアニメキャラクターが創られ、表情されている動きに合わせて、顔をおきかえていく。
こちらの記事はポルノ動画に出演している女優と有名女優の顔を入れ替えた事例だ。記事中のgifアニメーションを見ると、その自然なおきかえが理解できる。
つまり、これらの技術を統合すれば、コンテンツが自動で創られてしまう。ユーザーはそれを淡々と読むことができる。ここまでくればマンガ家もいらない。さらにデジタルコンテンツの便利なところは、どのタイミングでユーザーがどういう反応をしたのかも記録することが可能だろう。となると、よりコンテンツを面白くするためにコマ割りを変えることも可能だ。
いちいち、編集者と相談しながら作者の思う読者を想像して作品を作るのではなく、確実に人間の感情を数値として読み取り、確実な感情を誘発することができるコンテンツを作れてしまうかもしれない。
コンテンツに求める価値
もちろん人間が作ったマンガと人工知能で生み出された作品では、味が違うかもしれないが、その違いを提供されているユーザーはいつ気づくことができるだろうか。
多分、ネットサーフィンしていて、暇を潰す程度のコンテンツにどこまでユーザーは重要性をお求めるだろうか?多分、無料である程度のコンテンツがあればそれで十分であり、そこコンテンツが人間が作ろうが、AIが作ろうがそれほど大きな問題ではなくなるだろう。
だんだんと鈍感になっていく感覚で、人はただただ簡単に安く手に入るコンテンツを受け入れ続けることで慣れていくだろう。
もしかしたら、少し前までのコンテンツ批評などは単純に批評する時間があり、その違いがある程度明確だったから批評していただけかもしれない。その文化そのものというのは人の営みに取ってそれほど重要ではなく、ある程度の品質さえ保っていればそれ以上は必要ないのかもしれない。
消費するだけの人間の価値
クリエイティビティさえも人工知能で賄えた場合、人は一体何をすれば良いのだろうか。もし、仮にベーシックインカムが取り入れられた場合、人は働かなくても食っていける。そうなると、人の存在価値は消費することだけになる。日常に必要な全てのものは機械が全て提供してくれることになるだろう。
noriyasu-katano.hatenablog.com
たぶん、多くの人は消費のみするだけになり、少ない一部の人が人工知能と共に物を作り続けるだろう。ただ、その作る目的も自分の生活などではなく、ほぼボランティアに近く、ある意味、純粋芸術、純粋創作の時代がくるのかもしれない。
ただ、それを行える人がどれくらいの割でいるのかはわからないし、多くの消費活動要因は、その非生産的な状態を打破するために、人工知能は消費活動をエネルギーに変えるシステムを作るのかもしれない。
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