Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

「仕事」ってなんとなくこんな事かな

Work

サッカーのコーチをやめて、休日が暇になった。時間が余ったからやりたい事をやれば良いと思うのだが、なんだかんだであまり進まない。先の事を考えると動くことができない。「これをこうしたら、こうなるんだろうな」とか考え始めるともう無理だ。

つくづく趣味がない人間なんだなと思う。じゃぁ、なんで辞めたかというと結局やらされていた感があったんだなと思う。

そんな感じで時間を持て余して色々と物思いにふけっている。人は基本的に暇なんだなと感じた。

暇だから仕事をする

人は暇だから、その時間を埋めるために何かに取り組む。その取り組む行為こそ「仕事」なんだなと感じる。よく仕事の反対の言葉に「遊ぶ」と言われることがあるが、遊ぶことも時間を潰す行為として仕事だと思う。その行為によって多くの時間が潰せる。

では、すべての時間を潰す行為が仕事かというと、それもまた違うと感じている。例えば、ただその時に流れているテレビ番組を漠然と見ている行為は仕事とは言えない。自分が受動的に受けているだけの行為は仕事ではない。ただ観ているだけの行為でも映画館にわざわざ足を運んで映画を観る行為は仕事だと言えるのではないだろうか。

エネルギーを消費すること

ここで気づくのが物理学、主に力学でも「仕事」という表現をする。物体に力(F)を加えて、その物体を動かす。物体にかかった力と動いた距離(s)をかけて仕事(W)を導き出している。そしてこの仕事とエネルギーは密接に関係している。物体に仕事をし続けることができる力のことをエネルギーと称する。

このことは力学の世界だけでなく、自分たちの生活も同じことが起きていると言える。先ほどの受動的にテレビを見ている場合、見ている人のエネルギーは全く使われないだろう。しかし、何か自分で動く行為には必ずエネルギーが消費される。この状態の事を仕事をしているといえる。

一般的に会社に行って、雇用条件にあった内容をこなすことが「仕事」と考えられているが、これは正確には仕事と呼べないのかもしれない。この状態でも自分が受動的にエネルギーの消費が低い場合は仕事をしているとは呼べないのではないだろうか。

こう考えると、側からはテレビを見ているだけかもしれないが本人の中で猛烈に思考を巡らせていれば、それは仕事をしている行為と言えると思う。その場合、そこで蓄積された何かがアウトプットとして表現される事を期待したい。

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