Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

Netflix『三島由紀夫 vs 東大全共闘』を見て

DSCF4203

秋の夜長、友人の薦めもありNetflixの『三島由紀夫 vs 東大全共闘』を観た。もともと昨年の3月に映画で公開していたものらしい。コロナと会社のゴタゴタでそんな場合ではなかったからこんな映画があったとも知らなかった。

gaga.ne.jp

さらに、当時こんなことがあったのかも知らなかった。不勉強で非常に申し訳ないが、三島由紀夫と言ったら東大に立てこもって割腹自殺をしたと思っていたが、この映画を見ると全く違っていた。三島由紀夫が最後に割腹自殺を遂げたのは陸上自衛隊の駐屯地だった。すでに三島よりも歳をとってしまい、自分はなんて小さい人間なのかと痛感させられた。

どんな内容なのか

1969年5月にあった、東大の教養学部900番教室に1,000人以上の学生と三島由紀夫との討論会のドキュメンタリーである。なんで有名人が大学を訪れて討論会しただけの話が、50年経ってここまでドキュメンタリー映画になってしまうのか。それは状況のせいだろう。

当時の東京大学全共闘全学共闘会議)と言う学生たちからなる反勢力分子によって占拠されていた。映画の冒頭では当時の映像で生々しく語られている。たまにTV番組で安保闘争の映像とか流れてくるが、今の日本では想像もつかない状態で「ここまで元気があったのか」と感心する。

学生がなんでそこまで怒っていたのか、根本的な理由はよくわからないが、Wikiを要約すると市から財政難を根拠に私学化と値上げを求められていたらしい。今から考えると「そんな事で怒るなよ」って感じだが、当時は「そんな事」ではなかった。この後の新左翼による浅間山山荘事件などに共通する点は、まさに反勢力で、体制に対する若者の反発なんだと思う。

そして、この反勢力と逆の立場をとっていたのが当時超有名文豪家の三島由紀夫だった。三島由紀夫は第二次大戦前から作家として賞をとっていたりしており、戦後は自ら自衛隊体験入隊するなど右に偏っていった。作品でも天皇を掲げていたりして、全共闘と大きく対立する存在だったらしい。

その二つの立場が同じ場所で討論をしているドキュメンタリーである。 さらに行動には全共闘の学生が1,000人集まっており、そこに1人で乗り込んで来たと言うような形。

何を討論していたの?

人の頭の良さはその時代によって変わってくると思う。「頭がいい人」と呼ばれるのは結局他人の評価ありきで、他人の評価自体時代に流される。

昨日スマホで横になりながら映像で流れる討論の様子を見ていて最初に感じたのは、あの当時は確実な「現実」が存在していた事。その前提があったからあの討論が出来ていたんだろう。しかし、今同じような討論ができるかと言うと、出来ないのではないだろうか。

今は現実でも妄想でもないネットと言う非現実が存在しており、そこからの情報の量が全く違う。つまり、あの講堂で討論していたステージ自体がなくなっている状態なんだと思う。なので、あそこで対話されている内容というのが私からすると虚構に聞こえてくる。頭の中では常に当時の状況を補足しながら議論を聞かないといけない状況だ。まぁ、50年前の話だしそれは致し方ないのだろう。

特に、三島由紀夫と芥正彦の対話は正直何を話しているのかわからない。あの会場にいた人の中でどれだけの人が理解できたのか。討論途中で「議論はもういい、俺は三島をぶっ飛ばすところが見たかったのに!」とヤジが飛んできたようで、二人の会話はよくわからない。当人たちも理解していなかったような気がする。 映像の途中、平野啓一郎の解説で「表現(芸術・闘争)」について話していることがわかった。

ただ感心させられるのは、彼らのボキャブラリーの広さと抽象概念を言葉に置き換えるスキルの高さ。これは以前読んだ山本七平「空気の研究」でも同じ印象を持った。 山本も抽象概念を良くここまで丹念に言葉に落とし込めるなと思った。この50年で日本語は大きく変化している。それが良いとか悪いとかではなく言葉は進化するもので、当時の人は日本語を使って概念を正確に伝えようとしていた事が理解できる。

なぜこのタイミングで三島由紀夫なのか

お祭りは催し物が終わると、ダラダラと終焉する。 なぜこのタイミングで三島由紀夫のドキュメンタリーなのか?当時学生だった人にとって三島由紀夫はひと世代前の人で、今のNetflix世代からするとお爺ちゃんの前に世代に当たるのでは。 日本がここまで元気で、若者が多く活気があった。NetflixをTVがわりにする人からすると驚くだろう。

最後につくづく思ったのは、現在70代の人達はある一面で老害と言われてしまう人達。その討論会には男性しかいなく、今とは大きく異なる価値観である事がわかる。この背景を持った人たちが普通に生活している。多様性とはその背景を受け入れる事。

色々な議論が出来そうで、今観る価値は十分にあるドキュメンタリー。