Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

日本語の本来の使い方と必要性

あけおめ

更新が途絶えてだいぶ経ってしまった。転職やらなんやらでなかなか更新ができずにいました。 そして、いざ書き始めようと思うとなかなかかけないのがブログだと思います。 はてなブログのUIも微妙に変わってしまい若干戸惑っております。

さて、何を書こうかと悩んで思ったのが年末に感じたことを書こうと思います。 何を思ったかと言うと、日本語の本来の使い方と用途をちょっとしたことから感じることができました。

年末に近づいた日にふと前職の同僚達と飲もうと思い、以前飲んだ時に作成したFacebookのグループにお誘いのメッセージを投げてみました。 お誘いのメッセージといっても独り言に近い形で呟いてみたと言うような気持ちで「来週、下北あたりでどうでしょう」と投げてみました。 このグループに投げるのは半年以上ぶり、前回の飲み会も下北で行ったので、何気なく投げてみました。 すると、早速「はい」と返事がきて、1時間のうちにそれぞれから返事がありました。

返事だけのやつも入れば、都合の日を返信してくる奴もいる。この時に自分の中ではそれぞれの面々と繋がっていることを実感することができました。 そして、それと同時に、これが本来の日本語の使い方なんだなとも感じました。

メタ情報の共有が前提とされた言語

なぜ、その様に感じたのか。何も脈略なく、そして目的や具体的な内容もないつぶやきに対して、発信者の思う100%の返答が返ってくるのは非常に面白いと思いました。当然、このつぶやきを第三者が読んだだけでは全く理解できず、1度下北で飲んだことがあり、次回を約束したと言う前提があるからこそ通じる会話なんだと思います。多くの方がこんな経験はされていると思います。いつも会っている仲間や、同級生など関係が親しければ親しいほど、その会話は簡素でありながら情報量が詰まった物になると思います。

さらに、面白かったのは、返事に具体的な内容を誰一人として聞いてこなかったことです。 多分、それほど親しくない関係や少し鈍い人がいると、「何?飲み会?」と返答が返ってくるかもしれません。 しかし、その時は誰一人そんな話が挙がらなかったのです。つまりこれはそのグループ間でメタ情報がすでに共有化されており、それ以上の情報を伝えなくても理解し合える状態だったからだと思います。

日本語の持つ簡略性

そして、日本語はこのようなすでに共有されている情報を引き出すのに適した言語なのではないかと思いました。 俳句などはまさにその簡略性を突き詰めた文化だと思います。そのために日本語は1つの状況を伝えるのに多くの言い回しが存在します。そして、それぞれの言い回しの微妙な違いによって感情の微妙な変化を伝えるために発展したんだと感じました。

今回の件を例にとってもグループの状況や各個人の性格、それぞれとの繋がりを含めて発信されており、さらに受けても発信者のタイミングや内容、言い回しを無意識に考慮して返答されていたと思います。

村、藩思想をもつ日本文化

しかし、もしこの状態でそのことを考慮・認識できなかったメンバーがいた時にグループ間で作り上げた物がいっきにくづれ落ちてしまうのです。 つまり、日本語の特性としては集団の中で言葉によりある種の塔のような物を作成して行くことができる言語だと思います。 例えば、漫才の掛け合いなどもそれに近いものがあります。 昨年2018年のM1グランプリジャルジャルが披露した漫才「国名分けっこ」はまさにその日本語の掛け合いを見ることができます。


ジャルジャル「国名分けっこ」

青春時代によくあるくだらない言葉遊びを題材にしていますが、その空気感が徐々に会場やTVの向こうにも広がる感じで、そのリズムに引きずり込まれます。 日本の古来からある、俳句もまさにその骨頂と言えます。

空気が読めない状況

ではもし、飲み会の誘いの時に「何?飲み会?」と返ってきたらどうなるでしょう。多分、メンバーの中には「こいつ空気が読めないやつだな」と内心思うかもしれません。これこそが日本語の持っている闇の部分だと言えます。

前提としてのメタ認知をすでに共有していること、それが日本語を使う上で非常に重要な要素なんだと感じたのです。そこで少しでも違う認識の奴がいると非常に言葉が使いにくくなるのです。 前提のメタ認知を育むためにはどうすれば良いのでしょう。それが日本を閉鎖的にする要因でもあると言えます。

文化や価値観を共有するためにはできるだけ、新しい価値観を排除して、今までそのメンバーで作ってきた物を大切にすることが重視されます。その規模が大きくなればなるほど、外からの価値観が入ってくるリスクが大きくなります。なので、より強固に守る必要が出てくるわけです。

私が感じたのはこの日本語を使用するリスクを強く認識できたことです。 多分、今後この言語を使用する上でできるだけ多くの人がこの言語の特徴を認識して、閉鎖的になるリスクを理解し、極力オープンに意識する必要があるのかもしれません。

日本人のための日本語文法入門 (講談社現代新書)

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