Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

文学を抜粋して教える、国語教育は間違っている。

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久しぶりに小学四年生の息子の勉強を手伝った。塾の国語の課題が分からないらしく、問題を一緒に解いたのだが、非常に難しかった。自分が小学校四年と時も同じような問題ががあったが、今から思うと十分に理解していなかったんだと痛感した。

問題は文章を読み解き、文章内の線を引いてあるところを解答するお決まりの問題である。例題は古田足日の『新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)』と言う物語を抜粋したものだ。

 日本の国語教育の大きな欠点を痛感した

この様な、文章を読んで問題を解く形式は日本の教材では珍しくもなく一般的なものだが、この方法は全く読解力を育てるどころか、逆に混乱を招くことになる様な気がした。

古田足日の『新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)』はあらすじを読むと非常に興味深く、高度経済成長期の日本の中で起きた受験戦争への痛烈な批判と、教育を通じて登場する子供たちが社会の醜い部分と戦っていく話しらしい。

参照:宿題ひきうけ株式会社 / 財団法人大阪国際児童文学館 子どもの本100選

大人でも難しい題材で、小学生四年生にしてかなり難しい内容だ。抜粋された文章もその部分を読んだだけでは全く全体像が浮かばず、何を言っているのか最初に読んだだけでば到底掴みようの無い話になっている。あんの常うちの息子は、話の内容を全く理解できなかった。

ここに、抜粋した文章で効率的に読解力を身につけようとする日本の国語教育の浅はかで、大きな欠点を見ることができた。

単純に抜粋した数段落の内容では、その本で語ろうとしている状況などは全く理解できない。さらに、今の現代社会に置いて、その程度の情報量で状況をつかませる方が乱暴すぎる。現代社会では多様な状況が存在しており、その存在自体も情報として受け入れることができる様になっている。

「保育園の先生の先祖」とは

問題では、物語当時の生徒がどこかの境内に記念品として残された「ままごと」の跡を見て自分の発見したことを、引率している先生に話す内容が出題されている。

「むかしここでままごとをやっていた子もりの子たちが、いまの保育園の先生の先祖だってことです。」

この一文は、地域の小さい子供たちを連れて、少し大きな子たちがその子たちと一緒にままごとをしている行為自体は、今の保育園の先生に通じていてその職業の「先祖」みたいだと言うことを説明している

この文章を最初に読んだ息子は、本当の先祖の意味としてとらえた。これは解答としては間違った捉え方だが、100%間違っている理解とも言い難い話しである。

息子は、先生に話した生徒が実際にある特定の保育園の先生をよく知っていて、その先生の実際の先祖がそこでままごとをしていたと発見したと思っていた。

確かに、状況によってはその状況はあり得る話しで、「探偵ナイトスクープ」とかでも報じられる様な話しかもしれない。

なぜ息子は間違ったのか

息子が間違ったのは非常に簡単な理由だ。抜粋されている段落の中にそのつぶやいた子供ことも書いてなければ、状況も書いていない。ここから、この登場人物の関係性や状態を推測するのは、今の多様に満ちた社会ではどれが正しいく一般的なことであるのかを特定する方が難しい。

実はこの矛盾は私個人も高校の時から持っていた。現代文の授業でその当時の教員に向かい状況が理解できず、作者の理解を抜粋された文章から読み解くことに大きな疑問を感じていた。

灘中・高で教員を勤めていた橋本武(通称エチ先生)氏は、子供たちに『銀の匙』だけを教材にして、教え続けた。一つの物語を頭からお尻まで、何度も読み返し、その物語だけを通して国語を教えていた。

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

 

 一人の作家が一つの物語を作り上げて、そして、その作家のその当時の持っている選りすぐりの言葉を選び、繋いで文章にしていく行為には、その言葉、文章、行に想いが込められている。さらに、読み手も時代が変わりながら、理解が変わり、解釈が変わる。この行為自体が「国語」ではないかと思う。

機械的に、関連性をさぐり、解答に結びつけるだけで、さらに、その文章にかける時間は一体何分になるだろう?文章を解釈、読解する行為が本当に育まれるのか?

 

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)

 

 

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