進撃の巨人のシーズン2がTV放送で開始する。3/27は開催前でシーズン1の最終回を放送した。これをたまたまライブで見て気づいたことがあるので、書き留めておきたい。
何をどう感じたかというと、進撃の巨人のシーズン1が東京MXで放送されたのは2013年である。つまり3年ぶりの放送となる。
私はコミックを全く読んでなく、アニメ放送でしか見ていなかった。今更コミックを集めて、最初から話を追うこともできるが、集めるのがかったるい。なので、アニメで放送されるのは私みたいなズボラな人間にはありがたい。
放送が途切れても、コンテンツの時間軸は途切れない
シーズン1の最後は雌型の巨人を捕獲して話が終わる。コミックを見ていない人間としては、すごく途中で終わった感じである。巨人の秘密もわからず、これからどう展開するのか。この段階でコミックを買いあさった人もいるだろう。
そして、シーズン2はこれ以降が放送されるようだが、本日その前におさらいとして再度シーズン1が放送されていたようだ。久しぶりに放送を見ると、以外と興奮している自分を感じた。
すでに3年たち、自分自身の価値観も多少変わっているにもかかわらず、当時深夜アニメで次週を楽しみにしていた興奮がよみがえった。
これは、放送された時間自体は途切れてしまったが、個人の中で生きているコンテンツの時間軸が途切れていないのだろうと感じる。確かに、他のコンテンツを考えても同じことが言える。音楽やドラマ、映画など久しぶりに見ると、さらに、その良さを実感することができる。そして、今回のシーズン2とすることで、単純なリプレイではなく、話が展開されることで、前回よりも発展した興奮を覚えることができる。
ある意味今回の進撃の巨人は「再放送」と言えるが、単純な再放送ではない。この手法はエヴァンゲリオンなどでもそうだ。つまり、良質なコンテンツを継続的に活かす手法として、こういう方法は非常に有効的だと言える。
これが、数年立って、キャラクターなどのテイストも変わって、別の切り口で放送したとしたら、リメイクとなり統一感がなくなっていただろう。