Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

日本人の根底にあるものってなんだっけ?(占領期:幣原首相)

Japan

ネタが尽きると、読んでいる本をネタに記事を書こうと思うが、読んでいる本を理解しながら書いていくのも毎日だと追いつかなくなる。まだ、なんとか書けるので、今日も「占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)」から投稿したい。

前回までは東久邇首相がうまくいかなった話をした。今でこそ評価できる自由民主主義の先取り考えてた首相がその手腕のなさと内部的な分裂によって辞任に追い込まれてしまった。

 その後、首相に抜擢されるのが、70を超えた幣原首相である。第一大戦時に外交を勤めていた幣原だったが軟弱な外交と国内で受けられてしまい、その当時は表舞台から姿と消してしまったらしい。

GHQも一目置いた幣原外交

幣原が政治の舞台から消えて、戦後に入り、その外交を覚えていたのが、吉田茂である。吉田は幣原の外交のセンスをその当時から認識しており、その必要性も感じていたようだ。そして始め拒んでいた幣原も天皇の「御心痛」に動かされ首相を務めることになった。

マッカーサーは就任の知らせを聞いて、年齢を聞きとても年老いていることに驚いたが、あっさり承諾した。この時吉田はマッカーサー自体がそれほど日本の政治に干渉しない姿勢を感じていたようだ。

幣原内閣で起きたことは非常に濃厚だったと言える。まずは、天皇の「人間宣言」に憲法改正である。

置いてけぼりになる国民

憲法改正などの話はもう少し詳しく読み込んだ段階で投稿しようと思うが、ここまで読んで気づくのが、国民が全く出てこないことだ。もちろん、書かれている首相たちは日本の国の行く末を考えて色々と動くわけだが、しかし、国民自体の話が薄い印象を受ける。これは私の個人的な受け止め方なのかもしれないが、本来、政治家は日本国民はこう考えているから、この様な方向で考えるべきという様な議論があっても良いのではと思う。しかし、ここで出てくる政治家はあくまで政治家内の話になっている。

なんとなくだが、日本では政は上のレイヤーのことの様な感じがする。もしかしたら、日本国民は政治を昔からそれほど熱心に参加することはなかったのではないかと感じる。改正前の憲法の原案が毎日新聞によりリークする話が乗っているが、リークされたことで国民が動くことはない。

日本先行で考えられた憲法

この憲法改正には一つの大きな動きがあった様に思う。幣原首相の就任にしかり、マッカーサー自体は日本の決め事に関心がないそぶりをしている。この様に憲法改正においても日本人の政治家自ら出させることで、アメリカ側は日本のコミットを狙っていたのだと思います。

なぜ、アメリカは日本先行型で戦後の改革を行おう方針をとったのか、これが占領を目的にした戦争であれば自らの力により占領することができる。戦時中の日本はまさにその事を恐れ、本土決戦まで覚悟していたんだと思う。しかし、アメリカはまさか日本に対して、寛大な態度を取りその方針をあっさり受け入れたのだ。

それは、力で占領することにデメリットを感じたのかもしれない。つまり、日本の文化を残すこと、日本の何かを残すことで利用価値を見出したのかもしれない。

占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)

占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)