Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

芸術を単純な心情表現として教えられる悲しさ

Paint

高校時代に美大を目指すため、美術系の予備校に通った。デッサンに夢中になったけど、結局学力の方が及ばず、断念。専門学校に通いCG(コンピューターグラフィック)を勉強したが、今に生きているのはWebの技術だ。

そんな、美術系男子だったので、高校時代は美術・芸術にどっぷりはまっていた。最初にハマったのは奇才サルバドール・ダリだ。シュルレアリスム(超現実主義)の巨匠は奇妙な世界をリアルな描写で表現していた。観るものをその世界に引き込む、画力はその当時の自分の憧れだ。

 自然とダリの思考の背景が知りたいと思うようになり、シュルレアリスムを勉強するようになった。シュルレアリスムは超現実主義と言われ、読んで字のごとく現実を飛び越える事が大き課題だと解釈している。そのためダリの絵はとてもリアルに描写されているけれど、全体的に現実ではありえない風景になっている。

ダダイズムの衝撃

そして、シュルレアリスムダダイズムがあって成り立っていると言われている。ダダのメンバーがシュルレアリスムに流れたというのも一つの要因らしい。

このダダイズムがよくわからない。当時は分厚い本を一生懸命読み解こうとしたが、途中で断念してしまった。

ダダ・ナチ 1913‐1920 (ドイツ・悲劇の誕生)

ダダ・ナチ 1913‐1920 (ドイツ・悲劇の誕生)

 

ダダとはなんだったのか、よく問われる疑問だ。

マルセン・デュシャンの『泉』が発表されてから今年は100年という記念すべき年になっている。

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これはただの便器にサインを書いただけの作品だ。ダダとはそれまでの芸術の流れを全て破壊する行為だったんだと思う。それまでの芸術はなんだったのか、それはピカソやブラックが活躍した時代。ある程度の芸術に対する価値観が民衆の中で確立し始めた時代だったんだと思う。

流れを把握する事

そのため、この時代にこの作品を発表した「ダダ」という集団はとても奇異に映ったんだと思う。芸術を鑑賞する際にとても重要なのは、この歴史的な流れを把握、理解する事がとても重要だとつくづく感じる。

デュシャンが『泉』を発表したのは1917年。第一次大戦は1914年から1918年。つまり、大戦中の話だ。1915年にニューヨークに渡米し、『泉』を作成している。かたや、ヨーロッパでは戦争に向かっていた状態と言える。それまでの技術の中心はヨーロッパで展開していた。芸術の大きな流れでダダイズムの流れの前はキュビズムになる。

物理学との融和

キュビズムピカソとブラックが作ったと言われている。1907年に発表した『アビニヨンの娘』がきっかけと言われている。キュビズムの解釈としては複数の時間軸を同一のキャンバスに描いたのが特徴だと言える。これをよく表しているのが1912年のデュシャンの『階段を降りる裸婦No.2』。このキュビズムの流れには当時発表されたアインシュタイン特殊相対性理論が大きく影響しているのではと思う。

テクノロジーの進化

さらに、とても面白いのはこれよりももっと昔に起きた印象派の流れではないだろうか。印象派は今の芸術からするととても退屈な絵画に見える。その辺の風景をなんとなくタッチを変えて書いているだけである。こぞって印象派の展覧会に足を運ぶ人たちが信じられなかった。しかし、印象派はその当時としては非常に革命的だったということを知ると、なかなかバカにはできない。

印象派の前まではアトリエを構えて画材も顔料からこねて作るなどしなければいけなかった。そのため、外で絵を描くことができなかった。しかし、印象派の時代になると画材をチューブに入れることができた。そのため、画家たちは外で絵を描くことができた。よく印象派の展覧会などで使われるコピーに「自然の光を取り入れた」などのフレーズがあるが、これはまさに、外に画材を持って外の世界を描くことができたので、まさにその当時としては今なの陰険な絵画と大きく変わった印象を受けたと思う。

 つまり、絵画とか芸術は一見心情論や感情論ととらわれがちだが、全くそのようなことはなく、常にその時代背景の多くの事柄から影響を受けて成り立っていることがわかる。

俳句に隠されたテクノロジー

最近、子供勉強を見ていて思ったことがある。同じように日本の一つの芸術として俳句がある、5・7・5で言葉を綴り、その場の状況や作者の心情を歌に載せたものだ。 これもよくよく考えるととてもおかしい。今から考えると、なぜわざわざ、言葉数を減らして、その状況などを伝えるような文化があったのか。

個人的な推測の域を出ないが、もしかしたらこういうことではないだろうか。その当時の紙(和紙)や墨は今以上に貴重なもので、使える人たちも限られていたはず。簡単に間違って紙を丸めて捨てることなどできなかっただろう。そのため、本当に重要なことにしか、書記することができなかったはず。

そのような時代背景を考えると、俳句などはとても効率的に記憶できる手段だったのではと思う。今となってはUSBメモリーとなじ機能だったのではと思う。

時間を示すため必ず季語を取り入れたりしている。それを極限まで文字数を減らすことにより効率よく伝え残すことができたはず。まさに、このことも一つのテクノロジーだったのではと思う。

まとめ

こうやって考えていくと、どうしても芸術や文化が心情論で片付けられてしまい、その機能的な存在の意味を考えなくなることがとても悲しい。芸術や文化が「センス」と異様な安易で軽々しい言葉で処理されるのがとても残念でならない。

余談だが、次の動画はサルバドール・ダリの絵をVR動画として、彼の作品の中に没入する事ができる。ダリの頭の中ではこの動画と同じような風景が見れていたんだと思う。これは作者個人の裏に潜み、フロイトユングなど心理を解き明かそうとする一つの文化的、科学的な流れがあったから生み出されたと言える。

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ダリ全画集 (タッシェン・ミディアートシリーズ)

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