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Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

アンドロイドが作り出す死に対する意識変化〜第四回AI美芸研に参加して

人工知能 ロボット 死後の世界 イベント

https://www.instagram.com/p/BN1AL3Wlg3S/

今日はここ

昨夜、「第4回AI美芸研 アンドロイド芸術解剖学 」に行ってきました。内容が非常に濃く、さらに講演していただいた石黒先生、布施先生が濃いキャラクターでした。アンドロイドというお題目で刺激的な話が満載だったので、何度かに分けて投稿していきたいと思います。

石黒先生の日常とアンドロイド素人の感覚

石黒先生は「ロボットと芸術」という題目でお話しされました。平田オリザさんとのコラボしたロボット劇場・アンドロイド劇場のお話を中心にお話されていました。

印象的なのは、アンドロイドに詩の朗読などをさせると、自分の為に詩の作家が読んでくれているように感じると言っていました。このことは普通人が読むと、その読み手と作家の感情が混じってその事が感覚が混ざってしまうのだが、アンドロイドだとアンドロイド自体に人格がない為、純粋な作品の人格が露出されるという事だと思います。

平田オリザとのコラボ

平田オリザさんの演出にも触れられており、そもそも、平田さんとコラボする話になったのは平田さんの演出に理由があるそうです。石黒先生は日常の人間の仕草をアンドロイドに取り入れようと考えていたそうです。その場合、心理学では臨床という形である特定の条件を設定した上で、人間の行動を割り出すため、人間の普段「何気ない」仕草を割り出す事が難しいのです。そこに、演出という芸術の観点を取り入れる事で、より自然な仕草を取り入れる事ができるようです。

さらに、平田さんの劇はその仕草を追求したものだそうです。平田さん曰く、役者の感情や表現は必要なく、演出を忠実に実行すれば劇が完成するようにできているそうです。もう十年前くらいに一度平田さんの劇を見た事がありますが、日常のシーンをバラバに切って同じステージ上でつないだような演出で、それぞれの役者にフォーカスが行くのではなく全てが蔓延なく進行する事で成立しているような印象を受けました。

その上で、アンドロイドを使うことは都合が良かったようです。アンドロイドに簡単にプログラミングできるアプリを作成し、平田さんにそれを使ってアンドロイドを設定し、数センチ、数秒の演出を加える事ができたそうです。アンドロイドはそのプログラミング(演出)を忠実に完璧に実行する事ができます。

質疑応答にて

このように先生は芸術家とコラボする事で芸術が持っている、研究や実験で割り出せない感覚を取り入れようとしているんだと感じました。

さらに面白かったのは、先生との質疑応答での事です。詳しく内容は覚えていないのですが、先生にアンドロイドの質問をされる方が何名かおられました。その際に大きな差を感じました。それは多分アンドロイド素人とアンドロイド玄人との差です。

最後の3名での討論会でも布施先生が投げかけていたのですが、石黒先生は日常的にアンドロイドと接しています。しかし、観客できている私たちはアンドロイドには全く触れた事がありません。視覚的な情報を知識としてアンドロイドは機械であることを認識していますが、アンドロイドの精度が向上することによって、それは無意識的に人と感じているように思います。そのためアンドロイド素人としては無意識的に同じ人と錯覚してしまうのではと思いました。

しかし、日常的にアンドロイドと触れて、研究所にそれが転がっている場合、それがアンドロイドだということを無意識に認識する事ができ、人とは違う扱いをしているんだと思いました。

死に対する意識変化

アンドロイドのプロジェクトは進んでいて、落語家で人間国宝米朝師匠をアンドロイド化する事もやられたそうです。米朝師匠が一番油が乗っている時期をモデルに実現したそうです。

matome.naver.jp

 さらに、今は文豪夏目漱石をアンドロイド化プロジェクトが進んでいるそうです。

www.asahi.com

この二つの話で思ったのは死に対する認識が大きく変化するのではないかと思いました。すでに米朝師匠もお亡くなりになられ、ある意味死者を蘇生させていることに近いと思いました。これと似た感覚が2PACの復活ライブでも感じる事ができます。

tokumoto.jp

 2PACはすでにギャング闘争で殺されているラッパーですが、これをプロジェクションマッピングなどの技術でステージに復活させたライブがあります。観客はこれに歓喜します。そこに2PACがいるように感じるのです。すでに死んでいる人間がそこにいるということは、もし、死んだことを知らないで接すると、その人がまだ生きていると錯覚してもおかしくありません。

つまり、見ている側としてはその人自身の生き死にはそれほど大きくなく、その場にれっきとした存在感があれば生きていると感じられるのです。それがアンドロイドにナルトより鮮明になるような気がしました。

アンドロイドには意識や魂などありませんが、触れる側がその感覚を持った時点で、アンドロイドは生きている(意識や魂を持っている)と感じる事ができるのではないでしょうか。そうなると、人の死に対する感覚や価値も大きく変わる気がしましました。

これを考えていると芸術はある意味死や生というものをアーティストが描いていたと思います。それが今後テクノロジーと融合する事で、芸術の形も大きく変わるのではとおもおいました。

人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

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