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Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

クリエイティブは問題提起で、評論は解釈でしかない。

Barnes & Noble

前回の投稿を書いていて思った事がある。それは、非常に当たり前のことなのだが、クリエイティブは問題提起を行なっていて、それを評論することは解釈でしかないと言うこと。

noriyasu-katano.hatenablog.com

 前回は数年前に放送されたTV版の攻殻機動隊を一つの考え方で解釈してみた。そして、この事問題提起と解釈の関係は他の事象にも言える。

 最近、会社で水道橋博士氏と宮崎哲弥氏の「博士の異常な鼎談」や「博士も知らないニッポンのウラ」を観まくっている。ここに呼ばれるゲストは宮台真司氏や苫米地英人氏など、誰も彼も毒の強い人たちである。この人たちに共通しているのが、ある事象に対しての徹底した調査や体験をもとにその物事を評論しているところだ。

とても説得力がある話だが、彼らの話はあくまでも経験や知識に基づく個人的な意見に過ぎないと言うことだ。経験をしたのだから、その人にとっての真実になるが、もし、別の人が経験したらそこには別の真実の受け止め方があると言うことだ。さらに、それぞれが経験したことをそれぞれの解釈を入れて他人に伝える。つまり、真実と言うのは解釈の上に成り立っていることなのではないだろうか。

クリエイティブとの関係

この事がわかりやすいのが、クリエイティブに対する評価だ。『博士の異常な鼎談』にも呼ばれている町山智浩氏は映画評論家として非常に面白い観点で映画を評価している。特に面白いのがジブリ作品を評価した話だ。

d.hatena.ne.jp

こちらの話も真実ではない。あくまでも町山氏の解釈と言える。宮崎氏本人にもインタビューしている部分があるかもしれないが、最終的にはその内容を町山氏が解釈して話していることになる。

みんな解釈が知りたがっている

つまり、人の意見や評価と言うのは解釈でしかなく、さらにその解釈を産むクリエイティブや物事の事象と言うのは問題提起となる。そして、もっと面白いのが、この人の解釈というのは、人を惹きつけるものだと言うことだ。

人の解釈で成り立っている番組など腐る程ある。ワイドショーなどは典型的だ。わかっているのかわかってないのかタレントを使って、事件に対してそのタレントの意見を聞きたがっている。バライティーでも専門家を読んで、心理分析みたいなことをしている。近場でいうと病院もそれに近い。体がおかしいから先生に見てもらう。先生も別に神ではないので、経験と知識から症状を断定していく。これも事象に対する解釈でしかない。

会社でも同じだ。任された案件や宿題に対して上司の意見を求める。しかし、別に上司の意見が真実やましてや正解でもなんでもない。あくまでも、その上司の経験則でしかない。

なぜ解釈を求めるのか

多くの人はこの様に他人の意見(解釈)を求めている。なぜ、解釈を求めるのか。これは逆に考えると、自分がその事に対して解釈ができないから、他人の解釈を求めているに過ぎない。「あの人がこの件に関して、こう言いました。」まさに自分の考えなど微塵も存在しない。

だからと言って全くのゼロから解釈を作る事は難しいと思う。多くの意見を聞いて自分の中でさらにそれを解釈する事で少しずつ事象に対して自分の解釈が産まれていくのだと思う。

しかし、悲しい事に日本の場合は自分の解釈がなくてもある程度の解釈が容易に手にはいる。テレビのニュース番組では事細かに何回も同じ耳障りの良い意見を繰り返してくれる。さらに選びやすい様に数局から意見を選択できる。最近ではその意見もほぼ横並びになっているからとてもありがたい。

解釈は自分の中で、自分の疑問点を元に考えなければ、何も産まれない。そして、いつも人と意見が合わず、人の意見に飲まれてしまう事は、意見と捉えず、あくまでも解釈として捉えることで、やり過ごす事ができるのではないだろうか。

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