Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

40歳になって広範性発達障害と診断された。(1)

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恐れる果実

情けないのだが、40になって「広範性発達障害」と告げられた。

ことの経緯は長くなるのだが、今思うと自分の思考の癖はそれに近いと思う。

発症

始まりは2016年10月初旬。サッカーのパパ達との飲み会で起きた。一人のお父さんがやたらと、俺に絡んでくる。息子も3年生になり、チーム自体も戦術的になってきていた。年度の初めから、自分のサッカー経験の無さがとても不安に感じていた。

 一応、審判の資格は取得したが、あんなものはザルだった。ルールブックを渡されて、サッカーの審判を見よう見まねで対応していた。地域のこのようなサッカースクールみたいな温度感もよくわからず、毎週不安になりながら自分なりに一生懸命やってたつもりだった。

しかし、その人からは自分は不快な存在に写ったのだろう。自分の言うことを全て否定されて、からかわれた感じを受けた。一次会から絡み始め、二次会でも絡んでくる。ひつこく、僕の子供達に対しての接し方を注意されていたように思う。こちらとしても、言うこと言うことが全く受け入れられず、一体どうすればいいのか、しまいには「こんなにムカついたのは久々だ」とまで言われる始末だ。

何が不満だったのかさっぱりわからないまま、こちらはすみませんと謝るしかなかった。一年ぶりの集まりで周りは楽しくしているから、こちらもキレるわけもいかず、ひたすら何かの弁解を迫られている感じだった。

機嫌をとるために色々と話したが、結局よくわからなかった。家に帰って、なぜか悲しさだけが蘇ってくる。家族が寝静まっているにもかかわらず、部屋で大きな声を出して、叫び狂った。子供達も何が起きたのかわけわからず、泣きじゃくり、義理の母親は念仏を唱える始末だ。

ひとしきり叫んだ後に、メインのコーチにメールしてパパコーチを辞退した。

息子

よくよく考えると、ひどい話だ、一人のわけわからない酔っ払いにいちゃもんつけられただけで、それまでの生活習慣が一気に変わった。パパコーチの辞退には息子もサッカーをやめさせることも記載した。

妻からは息子に決めさせろと言われたが、正直その余裕はなかった。

一番近くで息子のサッカーをしている姿を見ていると、なんともお粗末。それを帰りぎはに息子に叱って、毎回、リフティングを自分からやるように言っても、なかなか実行しない。さらに、そのイライラが勉強にも飛び火する。

夏休みは朝から勉強を2時間近くやらせた。夏休み開けても、1時間毎朝叱りつけた。正直、何かに焦っていた。言ったことを全く理解できず、国語の文法も全くできない。学校に行く前に息子は泣きながら勉強をさせた。

酔っ払い親父からは、サッカーの練習で息子に真剣に教えている姿が焦っていると批判されたように感じた。図星だったのかもしれない。こちらも真剣に教えていた。必死に教えていた。

チームメイトからバカにされている息子の姿も見ている、なかなかうまくいかず、いつも別のパパコーチからは「真面目にやれ」って言われていた。息子が毎回真面目に取り組んでいるのもよく理解していた。でも、彼は体がついていかなかった。いつも言い聞かせていた。「お前はサッカーがうまくないから、声を出せ、周りを盛り上げろ」って言っていた。しかし、内心いい気持ちはしない。「できないのが悪い」と思っていたけど、正直、息子がバカにされたり、真面目にやれと言われるのは見ていられなかった。

飲み会で俺を攻めた親父の息子もサッカーは上手ではない、いつもふざけているし、試合になるといつも逃げ腰だ。そんな奴からも内の息子はバカにされていた。どうしようもなく真面目でいい奴すぎるから、何も言い返せない。みんなが喜んでもらうからいつも頑張って笑顔で頑張って応援していた。

これ以上息子にも辛い思いはさせたくなかった。自分が辞めるし、そんな辛い仲間たちと一緒にいる必要はないと思った。

彼はその晩は続けたいと言ったが、多分、それまでの流れを壊したくないからそう言ったように思えた。そして、妻からは俺の考えがおかしいと言われた。ちょっとの事を大きく捉えて、いつも自分がよくないと考えていると言われた。

自虐的な考え

その晩、自分の中では「なんで、いつも一生懸命やっているのに、そこまで言われなくてはいけないんだ。」ってことだけがぐるぐる回り続けていた。そして、出る答えは「自分が至らなかったから。」「パパコーチとしての資格がないから」ということだけ。経験もないのに、なんとなく子供の役に立つからという軽いノリでやっててもうまくいかない、そんな考えだからダメなんだと思っていた。

これが今に始まった事じゃないことは、妻はよく知っている。結婚当初から、自分の感じる自虐的な部分はよく見て来ている。前職を辞める際も、どんなに仕事が苦しくても、自分の責任と全てを抱えて対応していた、最後には体が動かなくなり、人生最初の心療内科に通った。

先生の前でどうしても体が動かずに泣きじゃくり、それでも休職をしたらおしまいだと思い、薬を飲んでやり過ごしていた。夜帰るたびに自分がしっかりしないといけない、自分がこんだけやっても何も変わらない、自分がもっと働けばよくなるはずと思って仕事をしていた。

今回も妻は大したことない地域の問題にそれを感じたのだと思う。パパコーチを辞退した次の日に病院に行こうと言った。

 

続き 

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