先日、早めに帰宅でき最寄りの駅に着いたのが22時くらいだった。1人の少年が向かいのホームでウロウロとしていた。「こんな時間に小学生が電車に乗るのか」と思いつつ彼の様子をうかがっていると、手には携帯を持っていた。親にでも連絡できそうだし、まだ、人もいるので、「最近の子は遅くまで出かけているんだな」と思いそのまま駅を後にした。
駅を出て、駅前の進学塾の前を通ると数人の小学生男子が自転車に乗っていた。明らかに塾の帰りだ。多分、ホームにいた小学生も塾の帰りだったのだろう。
背の高さから小学6年生くらいだと思う。確かに自分が小学生の時も、遅かったが、さすがにここまで遅くなかった気がした。
ふとそんなことを考えていると、この傾向って大人にも言えるなと感じた。
小学生の時から遅くまで外(塾)で勉強することに慣れていると、やはり大人になっても、遅くまで働くことに何も違和感を持たなくなる。
刷り込まれた過労の源
東京都では今年残業を強制的になくす働きをしている。確かに、小学校の頃から時間をかけて勉強や労働を行っていから、遅くまで時間をかけることに何も違和感を持たなくなってくる。
しかし、本当に時間をかけることが合格や成功につながるのかとても疑問を感じた。
自分自身も毎日遅くまで働くタイプで、かといってそれが成功しているわけではない。受験を控えた小学生の1日のスケジュールなどをネットで調べても、朝から晩まで勉強に明け暮れている。これって本当に効率的なのか非常に疑問に思った。
多分、もしかしたら日本人はすでに小学生や中学生で、無駄な非効率な勉強方法が体に染みついていて、結局その無駄な非効率なことが良しとされて成長させられているのではないか。
もしかしたら、そこまで勉強に明け暮れなくても幸せな人生が送れて、もしかしたら、そこまで仕事をしなくても裕福に暮らせるのかもしれない。
もう勉強して、超優秀エリートになって定年を迎えたら、結局孤独な人生を迎えているのかもしれない。
そう考えると、この国は生きにくい国なんだろうなと感じる。