『じぃーちゃんmountain芝をcut バァーちゃんriverでウォッシュ はっ!』
水曜のカンパネラの『桃太郎』の一節。前から名前は聞いたことがあったが、初めて聞いて衝撃を受けた。冒頭部分は引き込まれるような曲調で曲が展開していく。
滑舌の良い歌いまわしに歌詞が自然と頭に入る。しかも、その歌詞の内容はとても知的で文化的であるが全くの無意味。というか、歌に求める感情とかが無に近い。その逆に曲調とかはメロディアスで感情に溢れている。
そのギャップのせいで、歌に引き込まれてしまう。
これと、近いと感じたのが『キュウソネコカミ』である。彼らの歌詞はどうでもいい日常を激しくどうでもよく歌っている。そして、特に似ているのが曲の展開である。『MEGA SHAKEIT!』などは途中からハウスミュージックに展開して、再度戻る。
なんとなく、どうでも曲と曲をつなげている感じが非常に曲の親近感を覚えた。
キュウソネコカミ -「MEGA SHAKE IT !」MUSIC VIDEO
カンパネラに歌詞的な近さを感じるのが、『相対性理論』だろう。ただ、彼女の曲には女性的で独特な切なさを感じる。CMソングにも器用されていたり、商品を意識したコピーライティングとしての素晴らしさも感じられる。というか、「したたかさ」といったほうがいいだろう。
これってなんだ?斬新なの?
なんとなく最近聞いて、今まで聞いたことがないような感覚に囚われてしまい、これって新しいと感じていたのだが、よくよく考えるとこういう手法って昔からあった事を思い出しました。まさに、スチャダラとか電気グループの初期などこれに近い感覚。
スチャダラの『サマージャム'95』は夏のどうでもいい日常を歌っている。発売の1995年に生まれた子はすでに二十歳を超えている。ではもっと往年の曲で、どうでもいい無意味な曲を考えると植木等の『スーダラ節』とかが近いように思えた。
やっぱり、水曜のカンパネラは新しんじゃね?!
ここまで、考えて思ったのは、今まで紹介したものにはその曲情景が思い浮かび、その情景の中にある心情が感じられるように思った。
例えば、スーダラ節は1961年に発売され、ちょうど日本の高度成長期のど真ん中。サラリーマンの数も増え、貧乏ながらも楽しみが少しずつ増えていった頃だったように思う。
サマージャムも95年バブルがはじけ洋楽ではニルバーナを代表とするグランジが流行り始めた。なんとなく世の中に漂う絶望感とマンネリ感。夏の定番も定まって「だいたいやること一緒だよね」というような風潮を曲にしているような感じがする。
そういった点で考えると、歌詞の中には全くのリアルな情景がなくなり、完全な物語を語る水曜のカンパネラはなんとなく新しい感じがした。