Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

義務教育が信用できないわけ

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最近つくづく義務教育が信用できないでいます。なぜ信用できないのか、一番感じるのが世の中にあった教育が全くされていない事です。30歳を過ぎて、子供ができ、幼稚園や小学校に子供が通うようになると、自分よりも若い世代の先生が担任になることがあります。この状況は当たり前のことで、仕方がないのですが、ただ、よくよく感じるのが先に生まれているはずの先生と呼ばれる人が、自分よりも後に生まれた人になると違和感を感じることがあります。

 20代の後半に若い先生と飲んだ事があります。確か、23歳で大学を出たばかりで小学生の先生になる方だったと思います。その当時の私の印象は「こんな若いのに先生なのか」と頼りない印象を受けました。

一概にすべての大学卒業の先生が頼りないとは思いませんが、その当時の印象は今でも変わっていません。

人生経験がないまま、人にモノを教えること

多くの親が感じる不安だと思います。例えば、大学進学が非常に困難な時代で、大学を卒業して教育という特別な教育を受けたと感じられる時代であれば、20代の先生は周囲から非常に優秀に映ると思います。しかし、ある程度の費用と時間を変えれば習得できる状況だと、その希少価値というのは愕然と下がると思います。

もちろん、大学時代に現場の研修を行いますが、結局これは子供や学校という環境の研修でしかなく、親や保護者、歳や価値観の違う人たちと接する機会が十分にあるとは思えません。

もしかしたら、20代前半で壮絶な経験をして多くの価値観の人と対話して、物を教える立場として考えや経験を提供できる人物もいるかもしれませんが、今の義務教育の中で、そういった人材を教育現場にコンスタントに排出することはまず無理だと考えられます。

また、多くの子供達が進むのは大学を卒業し、一般企業に就職することになると思いますが、大半の先生は企業に就職経験がないまま先生となるとケースが多いと思います。

そう考えると、現場を経験していない人が現場に適した人材のベースを作ることができるでしょうか?

マニュアル的な道理しか持っていない教育現場

そして、就職してWeb製作現場で働いていると、ありえないくらい働く女性スタッフをみることがあります。平日は朝早くから出社し、終電まで働く、土日も自宅でパソコンを広げ仕事をこなす。男性ももちろん、これ以上の働きをしている人もよく見かけます。これはWeb製作現場だけではなく多くの職場でも見られると思います。

これを美談と感じる価値観も相当ずれているし、この仕事に対する向き合い方が正しと感じる人もいるかもしれません。しかし、これって、ただの奴隷ではないでしょうか?なぜ、この状況を正しいと思い、それを実行してしまういのでしょうか?日本の軍隊的な考えでしょうか?

私も少し前に同じような働きをしてうつ病になりました。その当時の自分を考えると、「仕事には真面目に取り組む、お客さんは神様です。」が「正しさ」だと考えていました。なぜ、こう考えてしまうのか、考え直すと、やはり、義務教育内で「手の抜き方」を教えてもらっていないからだと思います。

「忘れ物をするな」「宿題を提出しろ」「授業を真面目にうけろ」というような考えが親の基本にもなているため、それを子供に教えているんだと思います。つまり、うまい手の抜き方や上手な考え方が学べずに育ってしまうんだと思います。

もちろん、この逆も考えられます。真面目さを強要するために、それに反発する方向もあります。これも、「上手な物の考え方」を教えられていなんだと思います。

さらに、最悪なのは、教育現場で教えている先生たちもそのように教えられているため、その考えから逸脱することができないでいると思います。たぶん、逸脱した時点でその上のからお叱りがあるんだと思います。

僕の思う今の教育現場はこういう図式があるんだと思います。そうなると、人生的な考えや要領を親が教えなくてはいけなくなります。

金八先生が学校や親をダメにした

1980年から1981年に金八先生の第二シリーズが放送されました。最初のシリーズは1979年、スクールウォーズは1984年です。ちょうど30年前の1980年代は熱血学校ドラマが流行った時代だと言えます。その当時10代から20代だった人は、中学・高校の子供をもつ親になっていると思います。つまり、学校に対して更生や道理など教える場所というイメージを持っている可能性がある年代ではないでしょうか?

学校に行けば熱血の先生がいて、その先生が子供を正しい道に導いていてくれると期待しているかもしれません。そのため、そのイメージから外れた先生や学校の対応は大きな反感を買ってしまうことになります。

そのイメージを持った親が学校に大きな期待をして、裏切られ、学校により多くの謝罪を求めることで、教育現場はどんどん縮小して意見のない場所になっていくんだと思います。つまり、もともと道理や人間的なものを教えるところではなかったのに、勝手にそのようなイメージが植えつけられて、勝手に失望させられて、もともとよりももっと小さくなるしかなくなるんだと思います。

親自体が教えなくてはいけない

システム的になりつつある教育現場よりシステム化しているのは進学塾などだと思います。そのため、親は最初から進学塾や塾などに道理などの教育を求めていません。では、いつどこで道理や社会に適応できる教育を教えるのか。それはやはり家庭になると思います。

つまり、義務教育では基本的な学力だけ期待し、応用的な学力は進学塾で対応して、道理や人間性、世の中への適応力は家庭で教えるしかないんだと思います。そのために親は今考えている以上に世の中のことを勉強し、多くの価値観を理解して、親としての個人の意見を確立する必要があります。

ニートを抱えている家庭もあると思います。これは完全に家庭の問題だと思います。家庭が子供に対して世の中の渡り方を教えられなかったんだと思います。しかし、それも致し方ないと思います。今と同じ内容の義務教育の環境で育った親には世の中でうまくやる方法や全く違った価値観を理解する方法も教えられていないので教えることができないのは当たり前です。

親自体もただただ毎日仕事に行っているだけや、家事をこなして友人と楽しく食事をしている暇は全くないです。常に世の中を見たり、考えをより成長させ、個人の意見を育まなくてはいけないと思います。

私はタイトル通り、義務教育を信用していません。学校では引き算、足し算の基本的な学力を提供してくれればそれで十分です。そのため、これからの世の中に適応できる人材に育てるため、スクラッチを教えています。古くなったMacを小学校一年生の息子に提供してプログラムを教えています。自分自身もプログラムを勉強しています。

小学生からはじめるわくわくプログラミング

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