ずいぶん前にエヴァンゲリオンが金曜ロードショウで放送されていました。TV初公開だったようです。映画館で公開されていた時は子供ができ観にいけなかったのです。DVDが出た時に借りて夜中一人で観ていました。金曜ロードショウで「破」が公開されていて、帰って来てちょうどやっていたので観ました。それをきっかけに次週が「Q」なのでハードディスクに録画してまた夜中にまた一人で観ていました。
当初DVDで観た時は「破」から「Q」までの時間が開きすぎて、冒頭からなんのシーンだかよく理解できませんでした。2週連続で観るとよく分かりました。
「破」の終わりで主人公は世界を滅ぼしていたんです。すっかり忘れていました。自分が大切な人を守ろうとして起こし、そして「Q」では、世界が滅んだ後の話だったんです。2度目でやっと理解できました。
実際の公開の時間差と映画の中での時間差が混在してしまい、よくわからなくなっていました。
エヴァと仏教のつながり
結局この映画でいいたいことは敵の少年(カオル)との会話に集約されているように思います。「人類は進化するために自らを破壊する。」しかし、主人公の少年の父は、その行程から逃れようとしている。つまり「神殺し」といわれているものです。
映画の中では「ロンギヌスの槍」だったり、「エヴァ」、「アダム」、「リリン」などの単語がでてきてキリスト教の色が強く出ているが、大きな流れでは仏教の色を臭わせています。
最初のエヴァの映画版とは少し表現が変わっていたり、名前も少し違っています。出ているキャラクターも違っています。つまり、初期の映画版とはまた違った世界が展開されているが基本のストーリーは繰り返されています。何回も映画をブラシュアップする(焼き直しする)にはうってつけの言い訳ではないでしょうか。
作者としては、同じ内容を作り直しより良くしたいというのはよくある心情だとおもいます。ただ、観ている人間としては「またかー」という何となくうんざりした気分になる。そこをストーリー的にも「焼き直しOK」としてしまうと作りやすい。
落語やクラッシックなどの「古典」に近い考え方だとおもいます。
ちなみに、「神殺し」の考え方「輪廻転生」からの脱却はブッタの教えと同じだと思います。
さらに、この映画の面白いところは「人類の進化が自らの滅ぼしによって達成される」事だと思います。戦争などの発端を知るとそれとよく酷似しています。まさに自らを進化させるためにお互いを殺し合っているような感じに思えます。
マンガも終わったので、最後の映画版が楽しみです。