Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

日本人ってなんだ?〜『菊と刀』

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photo by Dziunka (an amatour photographer)

太平洋戦争中にアメリカが民族学者が日本の文化や人間性などに関して調査した『菊と刀』を読んでいます。研究課題と題した第一章では、なぜ研究に至ったかを描いています。

その一文を読んだだけで衝撃が走りました。まさに自分の根底を表している事が描かれていると感じました。

すべてが矛盾だらけの民族

アメリカはその当時日本が欧米諸国とはまるで違う文化を持っていると考えていました。簡単に表現すると、全てが矛盾だらけの民族だと表現しています。

世界のどの国民のことを説明するうえでも、「しかし、彼らにはこんな側面もあるよ」という言い方がなされてきました。しかし、日本が鎖国を解いて以来七十五年のあいだに、日本人に対してこの言い方が使われてきた回数はもっとも膨大な数に上回る。 

そして、この本を読み進めていくと、自分の性格や考え方などに合致する点が非常に多く自分の価値観がまさに日本の根底というか第三者が感じているものと同じだった事を自覚できました。

自分の今まで育ってきた環境が、数十年前の戦中の考えに近かったことを感じました。つまり、今の自分が育った環境はあたりまえのように戦中かそれ以前から続いている日本の文化の上に成り立っているんだと感じました。それが良いとか悪いとかではないですが、第三者の目からみた日本の性質が、そのまま流れていると感じ非常に衝撃を受けました。1945年に戦争が終結、私のイメージだと戦前戦中は差別がはびこり特攻精神で根性論という印象です。それが、敗戦後世界の大国として社会的にも精神的にも成長したと感じていました。 

 その衝撃を読み進めていくとともに書き残していきたいと思います。

日本にとって人間の尊厳ってなに?ダメジットに対する考え

確かに、日本が戦争中に行った「カミカゼ」という作戦なども他の国では発想出来ないアイディアだと思います。そしてこの考えは今の日本の人達にも感覚として「わかる」と感じるのではないでしょうか。

よく考えると、この感覚(作戦)は人権や人間の尊厳など全く無視したアイディアだと思います。

最初に衝撃をうけたのは、「損壊した(ダメジッド)」に対しての考えです。

アメリカは損傷をうけた人を命がけで助けることが非常に賞賛されるそうです。映画「プライベート・ライアン」などでもその物語が描かれています。しかし、日本の場合は負傷を負うことがあまりよく思われません。日本軍は死そのものが精神的な勝利だと語っています。

本の中で紹介されているエピソードの一つにはアメリカのB-29や戦闘機に取り付けた安全装置のことが日本からみたら「卑怯」とされたそうです。つまり、「こいつらは攻撃の武器なのに安全装置なんかつけている。腰が引けている。」ということなんだと思います。この「卑怯」という表現でも理解でます。

現代でも「予備を備える」ことに対して悲観的に考える傾向の人もいます。僕の中にもこの考えがあり、これは日本の文化から来たのかと感じました。何か、大切なこと重要なことが失敗することがそもそも大きな汚点だと思い、それに対して準備すること自体を拒否する傾向があると思います。

精神論で何もかもが旨く良くと考えていることこそ日本文化の汚点ではないでしょうか?