社会主義的倫理から産まれたデザインは、資本主義に進む経済の流れに巧みに組み込まれていったそうです。日本では第二次世界大戦が終結し、経済成長が進んで行くと共に日本のプロダクトデザインも大量生産の品質を支える柱として成長したそうです。
そして、もう一方で欧米のモダンニズムに触発され常に欧米と日本を見直し高い品質のデザインも産まれたそうです。それを支えたのが東京オリンピックや大阪万博などの国際的イベントだそうです。
しかし、この事が今後の日本のデザインを二極化していく原因となったそうです。
経済的な発展を遂げるために日本のプロダクトデザインは計画、生産、販売をする企業の意志が反映されデザイナーの個性は抑圧されていきましたが、ある一方で企業の発展に直結しないデザインの品質を求める動きもあったそうです。
この二極化していく日本をしりめにアメリカでは、大戦中に亡命した高品質なヨーロッパ文化によってモダニズムにいっそうの拍車がかかっていきます。そしてヨーロッパでは大戦によりバウハウスの質の高い人材がアメリカにながれてしまいったそうです。
そこで継承された技術や知識は「ブランド」というある一つの考え方を生み出すきっかけになったそうです。 もともと、職人たちが支えたヨーロッパ文化はバウハウスによって、今まで職人が持っていた高い技術とデザイナーの独創性が融合され、そしてその発展は戦後「ブランド」というかたちで今日に残されているそうです。
現在、デザインはテクノロジーの発展とともに成り立っていますが、本の中では、原研哉氏は新しさだけを求めて行くデザインの傾向を危惧しています。そしてある一部のデザイナーは今まで見慣れた中なに無数のデザインの可能性を感じているそうです。