Noriyasu_Katano's blog

脳科学や量子力学、政治や戦争に関して、日々の感じた雑感を書いていきます。

中休み-『脳の中の幽霊』<その5>

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photo by Iliyan Yankov

この本を読んでいると自分の脳へのイメージが180度変わったことに気付きます。

今まで信じられるのは自分の感覚、思考のみと思っていました。しかし、この本を読んでいるとそのすべてが崩れていきます。自分の存在を肯定するのは結局脳なだと思っていたのですが、まったくそんなことはなく脳も一つの器官に過ぎないことが良くわかります。

視覚から入ってくる情報はまったく正しくなく、そして、自分の思考自体とてもあやふやなものだと理解しました。 では、どのように人は自分の存在を定義し、自らが現実に存在するのかを理化しているのか。

それはすべての感覚を利用して、自らの存在を肯定しているのだと思います。 幻肢の話で失われた感覚領域に他の感覚領域が入り込む事を述べていました。失われた手から常に存在を主張する痛みが伝わってきます。 われわれは常に自分の感覚器官すべてを利用し環境を感じているんだと思います。 そして脳内にインプットされた情報と脳内から確認の情報を流し、存在を定義していきます。

腕を失った人は幻肢からの痛みを感じることができても、その痛みが本物か偽者かを確認できないのです。 われわれの存在している実感は一つの感覚器官で成り立っていないような気がします。

そして、他にもこの本は自分の思考以外の存在を強く感じさせてくれます。

このように文章を書いている思考が優先して意識できるのですが、それ以外にも私はこのキーボードをたたいている腕の動きを制御しているのも私の眼であり、脳です。

このように考えると、フロイトから始まった精神世界の存在がとても貧弱な物に見えてきます。 極端に言うと、私達の体は外界の環境を感じるためにあります。外界からの刺激が体の神経を通って脳に伝わります。 脳内では張り巡らされた脳細胞同士で情報を交換し、外界からインプットされたものを処理します。 そして、また体に返して、反応します。

ここで疑問に思うのが、インプットされた情報を処理することを個性とするなら、この個性はどこから生まれてくるのだろうか?また、このように脳内の活動が解明されていくと、どうして人間は神を見たり、感じたりできるかも解明できるような気がします。

そうなると宗教・信仰に答えが出され、それによる争いもなくなるだろうと思います。

争うこと自体の本質もわかってくるんだろうと思います。 脳のどこかが異常に反応するから争いにつながるというような答えが出るかもしれません。 そして、今後脳の活動が細かく解明されていけば人間の好きなデザイン、ターゲット層が最も求めるデザインって簡単に表現できてしまうのかもしれません。

脳のなかの幽霊 (角川文庫)

脳のなかの幽霊 (角川文庫)

 

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